不在

工場の出口の不在のレビュー・感想・評価

工場の出口(1895年製作の映画)
4.0
リュミエールは何故工事の中の様子ではなく、外からの風景を撮ることにしたのか。
それはこの労働者達の人生が、まさにここから始まるからだ。
画一的な労働から解放され、それぞれの生活が戻ってくる。
彼等が映画の主人公になるのは、まさにこの瞬間なのだ。

そしてそんな主役達によって遮られ、観客は工場の中に広がる光景を見る事が出来ない。
そうこうしている内に扉は閉められ、映画は終わる。
映画の謎や真理はまさにこの扉の先、観客が直接見る事の出来ない不可侵の領域にある。
芸術家が作品に込めた夢や思想、哲学は我々の手の届かない所にのみ存在するのだ。

しかし我々が本当に見るべきものは、工場の中なのだろうか。
『工場の出口』というタイトルに引っ張られて、その中の光景、そこにあるであろう映画の真実ばかりに気を取られていないだろうか。
我々が本当に見たいもの、見るべきものは、人々の人生だったはずだ。
扉の先ではなく、フレームの外にこそ世界は広がっている事を忘れないようにしたい。
不在

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