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北の国から'84夏のmegurosのレビュー・感想・評価

北の国から'84夏(1984年製作の映画)
4.3
丸太小屋が焼ける回。それを契機に五郎はパワーを失い、電気を再び通すこともせず、お金をかけて人に頼ろうとするが、その姿を見た純から「昔の父さんだったらそんなことしなかった」と言われてしまう。これが「92’巣立ち」に向けた壮大な伏線となって、丸太売却→石の家建設スタート→井戸掘削に繋がり、親・五郎のスケール感として棟梁が涙するところまで繋がるわけだから、もはや凄いをとっくに超えている。恐ろしい脚本。

中畑のおじさんの甥の努くんが「これからはパソコンの時代が来るぞ。これで何でもできるようになる。家からも働けるようになるんだ」と言っているが、現在本当にそうなっていて、いま努くんは何をしているのだろう?と考えてしまった。

そもそも東京から来た純にとっては、まずパソコンを動かすにもその電気が通っていないわけで、この焦りが今後の上京へも繋がっていく。

純は、もう本当にこの後もずっと、昭和後期に生まれた日本人男性のダメな要素を凝縮したしょうもなさをこれでもかこれでもかと連発して見せつけてくる。それは正吉の「やっぱりおめえは汚ねえやつだな」という言葉に端的に示されているが、誰にも純のダメな所は大なり小なり思い当たるフシはあるのではないか。自分が見つめたくない弱さや汚さを純の中に発見してしまうから、純を眺め続けることは精神的に苦しいのだが、それでももっと良い人間になりたい、なれるはずだというささやかな祈りをもって、彼の成長を見守らなけらばならないと感じる。

ちなみに、倉本聰がこないだ有名なラーメン屋のシーンについてインタビューに答えていて、伊佐山ひろ子は家に1人子供を待たせているから早く店を閉めようとしているとのこと。そうした会話に出てこない部分まで徹底的に考え抜かれているからこそ、そこに宿った魂を我々は感じるのだろう。
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