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悪は存在しないのmegurosのネタバレレビュー・内容・結末

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

ヴェネツィア銀獅子は間違いないだろうと鑑賞。期待を裏切らなかった。主演の大美賀均、助演の小坂竜士どちらも車両部にいた人らしく、日本映画に喧嘩を売っているかのような製作姿勢、アティチュードも良し(むしろ、それが原因で完成から日本公開まで9ヶ月もかかったのではと邪推してしまうが...)

映画では環境とビジネスという2つの要素のバランスがテーマとなっており、それぞれを象徴する人物が登場する。前半は長野県の自然の中での生活時間が描かれ、眠くなるくらいにゆったりとしていた映画の流れが、中盤になるとグランピング計画の報せと共に東京から人がやってくることで、セリフ量も一気に増え、編集も途端に慌ただしくなる。映画の時間感覚としても、自然が都会に侵食されていることが分かる見事な作劇だ。

主人公の巧はまだ妻の喪失から立ち直っていないのではないか。父娘だけの生活となり、自分ではできないことにも多く気付いているはず。父娘の関係も決してうまくいっていないことが伺える。

娘の花は、雉の羽を探して山中を1人で彷徨っている。それは雉の羽がチェンバロの材料になるということ、同じ弦楽器であるピアノが母親との思い出の楽器であることが理由だが、雉は古来より神々の意思を伝える神の使いであった。子が母を失えば、その母の姿を追い求めるのは必定とも思うが、雉を追う行為は天にいるだろう母親の姿を追う象徴行為となり、むしろ天を目指してしまう危険性すら暗示していたとも考えられる。(そもそも雉の羽を拾ってきたのは巧であるという点に、妻への想い/微かな自死の気配を感じ取れないか)。

そして同じく”神の使い”であり聖なる存在として鹿がいる。鹿は森の守り神でもあるが、映画には鹿はまず屍として登場する。巧が住民説明会の席上にて「今までもある程度、自然を壊してきた。大事なのはバランスだ」と話したように、その屍はこれまで壊してきた自然の痕跡だとも捉えられる。しかし、鹿の通り道にグランピング施設ができたら鹿はどこへ行ってしまうのか?そのさらなる破壊を前に巧は決断を迫られる。その意味では、何だか「もののけ姫」にも近い話のようにも感じられた。

芸能事務所の社長が丁寧なんだが共感力皆無のソシオパス。黛さんは速攻で会社を辞めた方が良いと思うが、すぐに辞めずに仕事しちゃう所が都会側の人間(水が重たくて運べない/森を無傷では歩けない)で、その配置のバランスも絶妙だった。衣装も、都会の人間はそれと分かる自然な配色コーデだったのもさすが。

音楽は石橋英子。先日、OPNライブのゲストアクトとしてジム・オルークとのDuoでの演奏も最高にカッコよかったが、今回も良かった。良すぎて、むしろブツっと音楽を切る以外にもう少し方法は無かったのか、監督には少し文句が残った。
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