Torichock

チャッピーのTorichockのレビュー・感想・評価

チャッピー(2015年製作の映画)
4.1
「Chappie/チャッピー」

"エンド・オブ・ウォッチ"や"トレーニング・デイ"に出演し、ギャングのアドバイザーとしても関わっていたクリー・シャヒード・スローンと言う人は、サウスセントラルという5分に一度事件が起きる場所で育ち、そこでギャングとして生きてきたので、他の世界も同じように、殺しや暴力が当たり前のように起きていると思っていたらしく、その地区を離れた時に、自分たちがいかに治安の悪いところで生まれ育ち、小さなことで争いや暴力を起こしていたかを知ったそうです。

以前、大人の勝手な事情に振り回される女の子の映画"メイジーの瞳"を観た時に、"いい話気にしてるけど、なんか嫌な映画"と思ったんですが、本作は、人間の勝手な事情や欲望のために生み出され、こき使われ、追い詰められていくという始末なんです。

僕たちは、この世に生を受けた時には空っぽの容器のようなもので、善悪の基準、正しさや不道徳なことなんかを判断する力を持っていなくて、結局のところ、自分の親に善悪の境界線を与えられる存在なんだと思います。成人式で暴れ回るような連中や、大人になってからも、ガキ剥き出しで大人らしく振る舞うことのできない人間もいるけれど、個人の常識や境界線には限界があるし、そのボーダーラインをある程度定めるのが大人であるとしたら、彼らは入れ物として間違ったのではなくて、やっぱり注ぎ込まれたものが間違っていたとしたら、この上なく不幸な話だし、この不幸は突然変異が起きるまで連鎖していくんだと思うんです。
冒頭に話した、自分がとんでもない暴力の世界にいることを気付けないほど、自分の世界は狭い。
"蛙の子は蛙"という言葉があるように。

もちろん、誰だって自分の子供が不幸で惨めな人生を送ってほしいなんて思う人はいないはず。(そう信じたい)でも、選択肢すら与えることのできないほど世界は狭いし、そう生きていくことしかできないほど道は狭い。

最後、チャッピーの親やチャッピー自身も"肉体"が破壊される。
残酷にバラバラに、破壊される。でも、彼らの魂まで破壊されたとは僕は思いません。次の肉体に移ること、輪廻転生し、新たな人生を迎えるのかはわかりませんが、そこである意味では自由というものを手にするのではないでしょうか?
自由?いや、"外見は一時的なものであり、大切なものは心(魂)"につながるのではないでしょうか?それが例え人間であろうが、ロボットであろうが関係なく、どちらにとっても惨めで、凄惨な一時的な死を迎えても。
そういう、辛辣だけど同時に愛のある死と選択の話をしているのに、ここの残酷描写が温くなった日本の映画産業が、本当に腐敗してるのは由々しき事態だと思いますけど。

翻って考えてみれば、やはりニール・ブロムカンプ監督がやりたいことが一貫して映画に反映されているように思えました。
"DISTRICT 9"と同じように、ドキュメンタリー風に入ることで、この世界の実在感を感じさせること。
そしてSFでありながら、設定の年代が近いのも、これは現実にすでにある話なんだというメタフォリカルな視点を感じました。
人間とロボットという入れ物の違う存在が、その壁を乗り越える魂の物語という意味では、僕の生涯ベスト"GO"にも近いモノを、鑑賞して思い返してみると、ふつふつとそれを感じています。

不躾な言い方ですが、世界観やアートやキャラクター、ロボットのデザイン含めテーマも様々なところが汲み取れるように詰め込まれたジャンク映画ではあると思うんですけど、ブロムガンプ監督の運び方の巧みさと燃えるロボットアクション、映画の持つ実力から、スッキリとした気持ちで見終わって、あとでじっくり思い悩み、感想書くのに1週間以上もかかる映画にしてくれただけで、素晴らしい価値ある鑑賞体験でした。

ヒュー・ジャックマンの髪型は、世界一ダサイと言われてる"マレットヘアー"だそうですよ。
Torichock

Torichock