このレビューはネタバレを含みます
この映画こそがヒーローだ。
悲劇のあと、どう生きるか。
大きな悲劇が去ったあと、生き残った者はその後の世界を生きていくしかない。前作『インフィニティ・ウォー』のラストで、宇宙の生命の半分が消滅した後の物語。
今作は、バートンが家族団らん中、妻子を失うシーンから始まる。前作に不参加だったバートンを使って、生命半滅の被害を一般家庭の目線から見せる。この映画は、「家族や仲間を失った人の物語」なのだと焦点が定まる。
アベンジャーズは、ストーンの力で人々を取り戻そうとサノスを捕えるが、ストーンは争いの種なので破壊したと言うサノス。そのくせ、自分だけはその力を使っていい正しい者だと思っている辺り、核の保有と同じだ。怒ったソーがサノスの首を斬り落とす。序盤であっさりサノスが死んだ。何も戻ってこない。起きた悲劇はなくならない。
この映画はこの後、消滅した人を取り戻す方法が出てくるが、現実はそうではない。この序盤のシビアさがあるから、この先どれだけ荒唐無稽な展開をしても、現実を生きる我々に生き方を語る映画だと感じる。
タイムトラベルも「過去に行ったところで、未来は変わらない。起きた事実はそのまま」というルール。この「あったことは覆せない」という条件も、やはり現実へのメッセージ。あったことは変わらない。そこからどう上書きするか。それは、MCUがずっと描いてきた「今、何ができるか考えて行動しろ」の精神だ。
今はここにいない仲間のために。
ナターシャはずっと自分の家族=アベンジャーズを取り戻すことにこだわり続け、殺人鬼化したバートンも見捨てずに救う。かつて殺し屋だった自分にバートンがしてくれたように。バナーもまた、ソーに救いの手を差し伸べ、『バトルロイヤル』の恩を返す。今はダメになっていても、再起できるように手を差し伸べるのが、仲間。
ナターシャのセリフで、「ここにいない仲間たちのために」というのがある。これは、我々の住む現実でも同じ。死んだ人は生き返らないが、生き残った人間は、「今はここにいない仲間」のために生きるべきだ。
2023年、家族との平穏を守りたいトニーは、タイムトラベルへの協力を一度は拒否。しかし、消えたスパイダーマンとのツーショット写真を見て、挑戦を決める。喪失に向き合い強く生きるには、死んだ人のために生きること。
映画冒頭、トニーはペッパーへのメッセージ動画で「ぼくが死んだら、うしろめたさ全開で前に進んでくれ」と言っていた。それがこの映画全体のメッセージ。
正義と正義の仲たがいを終わらせる。
トニーとキャップ、正義が食い違って決別した2人だが、サノスに敗北し、再会。「止められなかった」「ぼくもだ」。どちらも責任と喪失を感じている。トニーの主張は『ウルトロン』や『シビル・ウォー』から一貫して、「自由を犠牲にしてでも、世界中にアーマーを備えておくべきだった」。そして、「私が負けたとき、きみはそこにいなかった」とキャップを責める。
さらに、「私たちは、アベンジャーズ。報復することしかできない」と、何かを奪われてからしか対処できない自分たちを軽蔑する。キャップは、他人に任せて自分で考えなくなることを拒んでいたわけだが、トニーに言わせれば、各自の自由にゆだねるのは力を持つ者として無責任だ。
しかし、5年後、協力するために戻って来たトニーは、キャップに盾を渡し、和解を申し出る。「受け取れない。それは君の父さんが作った盾だ」「ああ。父さんが君に作った」。『シビル・ウォー』の悲しいやり取りが、ここでようやくひっくり返った。
二つの正義が完全に一致することはない。でも、仲間を思い、平和を望む気持ちは同じ。決別するのでなく、違う正義でも団結しようと歩み寄る。協力することで目的を叶えられる可能性があるなら、正義の違いを理由に仲たがいするべきではない。
ヒーローが正しい理由。
サノスは、自分なりの正義を掲げていた。人口を半分にして、飢餓や資源を巡る争いのない世界を作る計画だ。結果として訪れる状況は平和だし、サノス自身、私利私欲ではなく世界を救うためにやっている。だから、未来の世界で自分が死んでいることを知っても、2014年のサノスはそこに関心を示さない。自分の犠牲をいとわない、まるでヒーローだ。
しかし、本当のヒーローとサノスには、明らかな違いがある。それは、サノスは正義のためなら他人を犠牲にするが、ヒーローは決して他人を犠牲にしないことだ。
バートンとナターシャは、ソウルストーンを手に入れる際、お互いが自分を犠牲にしようと、相手を生かすために戦う。キャップは『シビル・ウォー』で「人が犠牲になっていいのは、自分でそう決めたときだけだ」と言った。そうやって他人を犠牲にしたくないのが、ヒーローの考え方。だから、アベンジャーズは仲間を復活させられたし、復活した仲間は団結した。その正義の差でサノスに勝った。
テクニカルな娯楽大作。
タイムトラベルは、やはり盛り上がる。『&ワスプ』のラストで量子世界に取り残されたスコットが、戻って来た。5年経って、偶然ネズミが装置のスイッチを踏む奇跡によって。ご都合主義とも言えるが、そんなラッキーで現れた勝機に興奮。スコットが慰霊碑をくまなく見ると、自分の名前が。この宇宙にいなかった彼は、消滅したことになっていた。しかし、実際には生きている。この「ルール外の男」の存在が、キャップやナターシャにも一目で逆転の可能性を感じさせるのがカッコいい。
改心して仲間になったネビュラだが、アベンジャーズの敵となるのは、2014年の悪い頃のネビュラ。
それぞれ過去に行ったアベンジャーズが、同時に2023年に帰還したとき、皆ナターシャがいないことにショックを受けて気づいていないが、もう一つ大問題が起きている。そこにいるネビュラは、2023年の彼女になりすました、2014年の悪ネビュラだ。敵が忍び込んでハラハラ。その後、2023ネビュラが2014ネビュラを殺すのも、なかなかトリッキー。
スコットがタイムトラベルを提案しながら「ただし、賭け事はするな」と『バック・トゥ・ザ・フューチャーPart2』を引用するのもワクワクした。初対面のスコットを見たネビュラの「気を付けて。玄関にバカがいるわ」も最高。太って髭を生やしたソーを、トニーが「リボウスキ」と呼ぶのも笑った。
最強の最終回。
バートンの家族のシーンから始まるが、サーガの完結編を渋いバートンが飾ると思わず、いきなり驚いた。
冒頭、宇宙船で衰弱するトニーの目の前に、ほほ笑むキャプテン・マーベルが登場。MCU最初のヒーローのピンチに、MCU最新のヒーローが助けに来た。面識はなかったが2人だが、ヒーロー魂を持つ仲間だから繋がった縁。MCUがヒーローの姿を描き続けた分厚さがある。
キャプテン・マーベルの強さが、他のヒーローやサノスに合わせて下方修正されていないのが嬉しい。サノスを捕えるのも、敵艦を一人で破るのも、最強具合がそのまま。
キャップが「奴の息の根を止めに行こう」(奴=言語では「サノバビッチ」)。『ウルトロン』で、汚い言葉遣いを注意したキャップが、正面切って汚い言葉でアベンジ宣言。
そしてタイトル『AVENGERS ENDGAME』の文字。前作の「特大のお祭りだ!」の興奮と違い、覚悟を見せられた神妙な始まり。
また、トニーは過去で、死別した父と再会。正体がバレてはいけないトニーは、さりげなく、しかし息子としての尊敬と愛をこめて「地球を救ってくれてありがとう」と父の生き様に感謝を述べる。死別まで愛に気付けなかった心残りを、ようやく遂げた。
たった一つの、勝利の未来。
トニーがサノスに言い返す。「なら、私は、アイアンマンだ」。サーガ1作目『アイアンマン』のキメ台詞でラスボスを超える、最強のトドメ。
アクセントが、『アイアンマン』では「I」(正体を明かす)、『アイアンマン3』では「am」(自分のできることを再確認する)ときて、今回は「Ironman」を強調。自分がヒーロー・アイアンマンであり、鋼鉄の男だという宣言。今まで全ての行動が導いた勝利。