死後トイレに流されたい気持ちはすごくわかる。ベジタリアンで子育てしたので世間の白い目とも戦ってきた。そんな私が見てきたものは、どんな素晴らしい主張も、隣の主張と混ぜて半々で決着するよう宇宙はバランスをとってくるってこと。
映画は、とりあえず彼の主張と彼の周囲のそれぞれの主張を並べたところで終わってる。
監督はそれを意図したのか?わからないけどまさしく「はじまりへの旅」だなと。
そして、監督が並べたものは、映画を観るものの心の中でバランスをとりはじめ、平和や愛の種になる可能性を含んでいると思う。だといいなぁ。
追記、葬儀の仕方にこだわるのは非常にアメリカンだなぁと。真にブッダを理解するなら、あきらめという悟りを歩くから、こだわる事自体ナンセンス。がしかしこの映画を生むためには必要かぁ。