不在

ラ・シオタ駅への列車の到着の不在のレビュー・感想・評価

4.2
まず初めに大きく目立つキャリーカートが上手側で動いている。
下手は画角的にも遠く、紳士が一人立っているだけで、フォーカルポイントはやはり上手にある。
その後奥からこちらにやってくる列車が画面の3分の2以上を占め、スクリーンを分断する。
駅の向かい側の情報はここで完全に遮断され、観客の関心は上手に留まり続ける。
そして列車の到着と共に乗客がカメラに近付いて来る事で、列車に置かれた焦点はごく自然に人間へと向かう。
気付けばあっという間に乗客が列車よりもフレームを占有しているのだ。

ヒッチコックを引用すると、我々人間は画面の左から右に動く物には安心感や親近感を覚え、その反対に右から左へ動く物には不快感や警戒心を覚えるそうだ。
この列車はまさに右から左へフレームに入ってくる。
だからこそ当時この映画を見た観客は、恐れ慄き、その場から逃げ出したのだろう。
列車の到着後に動き出す人間もそれと同じ動きをしているが、画角のおかげで奥から手前の動きに変換され、そこに嫌悪感はない。

それまでの規則正しい物体の流れは、やがて人間らしい煩雑さによって乱されていく。
レールの上を走る列車とは違い、人間は好きな時に好きな方へ動くことが出来る。
映画はその歴史が始まったと同時に、人間をそのまま人間として映し出す事に成功しているのだ。

広大な自然から始まり、テクノロジーの襲来によりそれが隠され、最後は人間に焦点を当て、映画は終わる。
映画という媒体が、これ以上撮るべき被写体があるのだろうか。
不在

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