ニューランド

36のシーンのニューランドのレビュー・感想・評価

36のシーン(2012年製作の映画)
3.6
☑️❴PFF2021ーナワポン監督集Aプロ⋅Bプロ/9❵『36のシーン』及び『マリー·イズ·ハッピー』▶️▶️
団塊の世代より少し下った、互いに同い年くらいの、映画の鑑賞本数半端ない(何万本クラスか)方2人に共通なのは、アンテナの張りかた·世間評判の方向に究めて敏感な事で、評価が歴史的に確定したもの(なら未知も全て予約)だけを、未確定も期待値·個人感性賭けられるものも、と違いはあるが、共にずっと以前から追い続けてたらしい、本当の通が好む有望株がこの作家らしい(過去の名作しか見ない人も飛び付く位の)。私は『ハッピー~』迄全く知らなかったが、とんでもない才能との事。全作を見直したいと意欲が再燃してくる催しとの事。私はどんなに有名な作家でも、初物·乃至はそれに近いは様子を見ながらチョビチョビみる方だし、仕事とカブるので今回は様子見。
長編処女作『36のシーン』。実に映画を撮る姿勢の現実·絶対形昇華を丸ごと正しく切り取ろうとしている作品であり、1シーンをスナップ写真に倣って構え、各半端タイトル付けての、何気スチルのように2分強のワンカットだけ(例外的に1シーン2カットの事も)+映像途切れ黒身に台詞だけ少し続く、の連ねは、あるサイクルの後に(1年後、まったく)同じ場と構図に戻ったりもする。2分強は最小マガジン内のフィルムの長さかもとも思い、例外的にスキッと鮮やかめもあるも、くすんだりふやけめのキレの悪いフィルムの質を敢えて選んでのルックかと思ってると、デジタル撮りをフィルム的に仕上げただけらしい。フル·ロング·寄りめ、俯瞰め·室内間仕切の様々立体化覆い、汚れや重なった窓越しや陽光で·翳り淡いのも、寄り顔の半ばフレーム外の切り方や囲む壁や塀の独自様々な質、のカットたち。構図のサイズ·角度·相互コンポジションは素晴らしいセンス·嗅覚を感じさせる、あくまで素人っぽさを装って。
しかしこれは主には、なかなか準備の進まないあるマイナー映画での、ロケマネと美術担当の若い女と男の知りたてコンビのかなり長期に亘るロケハンの様子を主としたもので、監督は後半の一部分を除き未着、自撮りをしてるわけでもないので、厳密なドキュメント仕立にもなりきっていない。後付けのリリカルな音楽も被さる。その半端さは、美術担当のいつしかの脱落とその懐旧、写真·データ貯めてたハードディスクの不全と1部救い得たも朧ろイメージだけ、その為係わった大家の亡息子の写真リクエストや·候補建造物取り壊しで代替え選定に応えられぬ、その過程で機材等に付いて家族や修理名人とのやり取り、らがミステリームードも派生させて大きく心やさしい内面を共通項狙いで浮上してくる。
厳密でも出鱈目でもなく、ドキュメンタルでもドラマチックでもなく、メディアの形を大事にして、それを一時でも共有した人たちとその空気を、自然に愛おしく無理なく高めてる。確かに最新作『ハッピー~』に最も直にリンクしているスタンス·内容の作。
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これに比べると、興味を持ったツィッターの原稿を本人の了解を得て画面に挟み·被せ、それリンクするフィクションのドラマを創り、並行させていったという、長編2作目『マリー·イズ·ハッピー』(読み上げ念仏如くに唱えを繰返す事態に)は、スッキリとはせず、迷い·戸惑いを炙り出しでなく、それが其のままにタッチに出て、落ち着かなく、一時の居どころもないトーンが生まれている。企画の実践のあり方についても、社会と人間の見つめかたに関しても。手持ちでフォローやパンで不定形に落ち着かず動いてるカメラ、レール上や(山)道まで矢鱈歩き突っ込むヒロイン(ら)、ジャンプカットの美学もない自由なカット内摘み方、突然の機器の火吹きや一体双子的存在の血塗れ死体との対面ら容赦なく、何かにせっつかれたような·足場を持たない·闇雲突っ込みやプレッシャーや生気消失、周囲光景もいきなり取材で森中で青息吐息や·逃亡港着や久振り帰宅すると自然大接近と不条理一変、死力尽くしてのや·期待に応えての卒業アルバム主導やその教師の無茶集合令対応も全くめざましい形はに残らず。
前後半で180°雲行き·勢い変わり、それに嵌まり抗えず·それ以上の大勢に従う事しか出来ない。闇雲に前向きに、凝るところにはトコトン拘り、ポツポツ恋のイメージや場に会いアタックや失恋、本当は水と油の親友との補い好結果流れの前半。無理やり自己焚き付けは不安定にせわしない。後半は、気力や目的失い、自分の分身と思ってた故·親友に異性恋愛対象より引きつけられる、只やるせなさが包み、自棄で心も身体も滅すに向かう。
しかし、無謀も自暴も、いつしか周囲がレールに戻してる。それは、女学生らがほぼ軽装体操着1本、奇妙な学内やそこの延長しか出てこない事、ラスト卒業してスーツ的制服に一新して大学や里帰り、の流れの中、この舞台が全寮制女学校で観念的にもそこを出ていなかった事が分かり、本作が現代·東洋版『制服の処女』だったと気づく。
奇妙だが、現代·そのささやか悦びや不安に対し、誠実で狂気を弾かず抱え込み、共生しようとした作(確かに今回のPFF作家特集もう一つの柱、森田の『家族~』に次ぐ代表的傑作『(ハル)』の似ててもよりしっかりした腰の落ち着け方には劣るだろうが)。やさしめタッ·トーンなのに、その価値を私には正直判別出来ない作家だが、時代を越えた社会や表現メディア自体の不安·不安定を探って、一応映画の体裁を取ってる人くらいのレベルでは掴める。
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