Torichock

ブルックリンのTorichockのレビュー・感想・評価

ブルックリン(2015年製作の映画)
3.8
「BROOKLYN/ブルックリン」

見た映画を言葉にする時間や、自分に落とし込む作業が進まなくて、でも観る作品はどんどん増えていて困ってます。
本当は、「シング・ストリート」のことを早く書きたいのだけど、「シング・ストリート」を書く上で、本作のことを書くのは避けて通れないと思い、まとめます。


僕の好きなドラマで、こんなセリフがある。

"私は独りで生きてるんじゃない。
だからこの世には損だと分かっててても踏み込んでしまう一歩がある。
それは良いことなのか悪いことなのか誰にも分からなくて、だからたぶんそれは自分で決めなくてはいけない一歩で、私は生まれて初めて生きるのって怖いと思って

泣いた"

新しい場所に踏み込んだとき、前にいた場所の人はどうなるのだろう?
何かの可能性に身を投げこんだとき、選ばれなかったもう一つの可能性はどうなってしまうのだろう?
今のままがいいなんて思ってないのに、それが変わってしまうことや壊されてしまうことが怖いのはなんでなんだろう?

そして、少しずつ痛みや恐怖になれる度に、何かを得ながら何かを失っていくのはどうしてなのだろう?

自由には責任がある。
いわれたことを言われたとおりにやっていれば、敷かれたレールの上をお手本通りに歩ければ、それは責任を果たしたことになるのだろうか?
僕は違うと思う。

そんなお題目をくちにするのは気がひけるけど、それでもそれは事実だと思う。
生きたいように生きる、やりたいようにやるのは無責任の逆を行くことのような気がする。
もちろん、未知の道を諦めるという自分に人生に対し納得し、残るという責任も存在するわけなんだけど、それは「シング・ストリート」で書きたい。

生きていく上で、自分の選択の中で出会う人たち。
その人がどう思うかは関係ないところで、人と出会うことで、出会った人に対する責任も実は存在する。
この映画の最初とか最後、人と出会うということで、変化を与えるということがそれを証明している。
人との出会いは、それが偶然で一瞬のものであっても、相手に影響を与える意味と責任があるんだというだと僕は思う。

「シング・ストリート」が
"Rock'n Roll is a risk."

と言うのなら、人生もまたリスクであり責任を持つものなのだと思う。
そのリスクを背負い、何度も心が折れそうになりながら、誰も知る人のいない土地で、故郷の色と、名前と、思うとを胸に、強く生きていく姿が本当に美しかった。

少女から、女性へ。

そして、もう一つ。
改めて思うことは、自分のホームということへの考え方。

僕もずっと思っていたことだけど、ここは「猿の惑星-新世紀-」でシーザーが言った言葉を流用する。
それは

Home=家族

ということ。
僕たちが帰りたい場所は実は、場所ではなくて、家族がいる所のように思える。
僕だってもし、あの部屋に、あの家にいなくても、ホームは存在するように思えるから。(「葛城事件」でも、一瞬だけ家族のシーンがあった)

思えば、誰もが自分の生まれ育った場所から離れ、違う場所に根を生やし、種を蒔き、その種が育ち、その種はいつかまた違う場所で根を生やし花を咲かせていく。
世界はそうやって広がって、色付いてきた。


振り返れば故郷は 場所ではなくて あなたでした(ホワイトロード/GLAY)


いつかの冬、遠い北米の地で、この東京に住む家族を思い、この歌を思い出したことを、映画を見ているときにフラッシュバックした。

新しい自分に出会う物語、の一つ上を行くような、新しい自分が出会う物語の物語。
そして、それを見つめてくれる人がいる物語。

僕らは飛び立って、根を生やす種。
外に飛び出すこと、外に飛び出す責任をもつことは怖いけど、進むしかないよね。

http://m.youtube.com/watch?v=KbPWi1gshzI

Sigur Ros - Hoppipolla




追記
ドーナル・グリーソン、彼のことはいい俳優だと思うし、嫌いじゃないんだけど、彼の出る作品は秀作が多いから、逆に最近観る映画観る映画に出過ぎてて、少し飽きましたな。
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