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ゴースト・イン・ザ・シェルのSIのレビュー・感想・評価

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2018.2.9
自宅TVにて鑑賞

「20年前の日本アニメーションが現代CGに勝った。」
これがこの映画を観ての率直な感想である。

私は押井守監督作の「攻殻機動隊」の大ファンであって、必要を感じたという理由だがTVアニメもS.A.Cと2nd GIGまでは観た。
今作は外れ映画だの何だの言われていたのでヴィジュアルに惹かれていたものの観る気がしなかったのだが、この映画は逆説的に観て良かったと言えるだろう。
今作は基本的に押井守版の「攻殻機動隊」(これを前作とする)を下地に引いており、言ってみればあの映画をシーンごとにバラして、ズラした文脈でもう一度つなぎ合わせたようなものだ。
前作では話の流れだけでなくメッセージも難解であって、結局何が真実で何を伝えたいのか不明瞭な印象だったが(もっともこれはカルト映画の鉄則である)、今作は草薙素子の過去に焦点が当たりこれが明らかになるためにメッセージは極めて明快だ。
「自身の(脳以外の)身体を失い、記憶も偽りのものが埋め込まれた状態で、アイデンティティとは何であるか。それは記憶ではなく『これから何をするか』だ。」というものである。
この作品内では素子が記憶を取り戻してハッピーエンドを迎えるためにメッセージ性が弱くなるが、明快にした分だけ幾らかマシと言えるかもしれない。
また、今作ならではの新鮮な描き方もあった。例えば素子が芸者ロボットの記憶にダイブするシーンは、記憶が細かく崩れていく様子など幻想的だったように思う。

しかし、この映画は見れば見るほど不思議と前作の良さが際立つのである。
一番残念であったのは素子が戦車に飛び乗りハッチを無理矢理こじ開けるシーンで、前作では濱洲英喜さんが原画を担当している2cutである。この2cutではフリッカー作画という技法が使われ、それはそれは天才であることを感じずにはいられない数秒なのだが(http://royal2627.ldblog.jp/archives/45058563.html)、
今作では極めて粗雑な描き方で正直観ていられない。
カットをそのままパクるのであれば本来はCGで同じくフリッカーを再現するのが当然と思うが、リメイクにあたってセルアニメーション技法を勉強する姿勢さえ無かったのだろう。
この視点で他のカットも見回してみると、明らかに前作のカットを再現しているだけのカットは(そのこと自体の是非は置いといて)、時間設計もどこか適当なように思える。
押井守監督が考え抜いて構成された動きと秒数だろうに(アニメーションは1cutごとに絶対にそうやって作る)、それを無視してレイアウトだけを完全にパクり雰囲気だけ再現してもより良い映画になるはずが無い。
最後のスタッフロールで川井憲次作の「謡」を苦し紛れに流すのであれば前作同様冒頭に使ってはいけないのかなど何かと意味が分からない。

第一最近リメイクされた「ブレードランナー 2049」もそうだが実際にその世界でどのように生活が営まれどのような文化が発展しているのかを抜きに、ただクールだの近未来だのを優先して世界観を構築しているために全体としてあまりに描写が浅いのだ。
ただ巨大なホログラフィが街中にあるだけで、筋としてはそれが何かの広告であろうにそれさえも分からない。
過去が無ければアイデンティティを喪い自壊してしまうのでは無いのかという事がテーマなのに、何故監督らは過去の集積である市民の生活や文化というものを想定せず雰囲気で映画をつくるのか。

この映画の指示出してた人達はとりあえず前作のOPだけでも一度観直してみたらどうですか。
https://www.youtube.com/watch?v=NNIIFFx5LCo
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