デニロ

おかあさんの木のデニロのレビュー・感想・評価

おかあさんの木(2015年製作の映画)
2.5
鈴木京香
四半世紀前、NHKの連続テレビ小説で白いブラウスに豊満な身体を隠しつつもエロさ満開で主人公を演じていた。戦中戦後の食糧難の時代の年頃の女性とは思えぬ艶やかさで、実は戦争中も女性は潤いがあったのではないか、というメッセージを送っていた番組だった。いや、グラビアで白いブラウスの中身を知っていただけに、その隠し方は想像力をかきたててもはや妄想に囚われた脳内ではボルテージが上がりっぱなし。

観ていれば何を訴えたいのかはわかるのだが、まあ工夫のないこと夥しい。
冒頭、若い国家公務員と初老の地方公務員が登場し、公共用地収用か何かのために現地確認をしている。立木が七本。地方公務員に案内されて土地の所有者のもとに挨拶がてら交渉に出向く。そこは老人施設のようだ。高齢となった所有者には認知症の初期症状が出ており、引き合わされるや否や彼女の話を延々と聞くことになる。七本あった立木(おかあさんの木)の由来だ。
それはそれで話をつなげる意味ではいいのだが、ただ延々と聞いている公務員たちは木偶の坊のようだ。

また、おかあさん役が若い女優から鈴木京香に代わるのは無理が見えた。いまや鈴木京香の若い頃の映像を利用してCGでいくらでも加工できるんじゃないだろうか。

更に七人の子を産みながらも色香漂わせつつ未亡人となった鈴木京香に迫る狒々爺でも登場させれば緊張もしたのだが、召集令状、出征、空の骨壷を繰り返し描写していて飽いてくる。

磯村一路監督は『がんばっていきまっしょい』の印象が強くその後の数本を観たがどうもまとまりも勢いも感じられない。本作は脚本も兼ねていて責任は大きい。製作委員会もよくGOサインを出したものだ。ま、責任の所在は曖昧だからな、日本映画の悪い仕組み。

帰宅後、家人に今日観た映画で戦争中は猫も供出して毛皮にしたみたいだよ、と話したら、うちの子は出さないよ、と言っていた。でもな、この国はこの映画の時代をみても分かるように同調圧力の強い国だからな。非国民と呼ばれなきゃいいが。
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