DJあおやま

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明けのDJあおやまのネタバレレビュー・内容・結末

4.4

このレビューはネタバレを含みます

いよいよ新3部のみならず“スカイウォーカー”を巡るストーリーの完結作とあって、鑑賞に臨むこちらも緊張感をおぼえた。あまりにも偉大なシリーズゆえ、その結末はもちろん気になるが、観るのが怖いという気持ちもあった。いざ公開を迎えると、詳細は不明だがあまり評判がよろしくないようで、ますます足が遠のいてしまっていた。公開から数日経っても観に行くことができず、気づけば年は明けてしまっていた。しかし、この作品を観ないことには、まだ自分の中で2019年は終われないと思い、いよいよ決死の思いで劇場に足を運んだ。
繰り返しになるが、これだけ長いシリーズの完結作となると、その結末に向けられる注目や期待は並大抵でなく、作り手の責任も非常に重い。それに加えて、前作があのエピソードVIIIというトンデモ映画なのだから、その重圧を押し除けるのは一筋縄ではいかないだろう。はっきり言って自分はこのシリーズに対しての思い入れはそこまで深くない。というのも、自分が初めて『スター・ウォーズ』をまともに観始めたのは、エピソードVIIの公開に向けて観たエピソードIVだった。たった4年前のことである。そのため、長年に渡ってシリーズを見守ってきたオールドファンとは、どうしても寄せる期待に大きな差があるのは間違いない。そんな様々なファン誰しもが納得できる作品などできるものなのだろうか。

さて、前置きは長くなったが、そんなライトファンである自分の感想としては、まず「楽しかった!」の一言。エピソードVIIIのあの荒れに荒れた脚本から、力業の連続ではあったが、なんとか完結まで漕ぎ着けたという点に拍手を送りたい。
観客をギリギリ置いていかないくらいのハイペースでストーリーは進んでいくのが爽快。ある意味、細かいことに目を向けさせないくらいのスピード感と、そして展開・要素の多さだった。キャラクターの細かな心理描写や行動原理、ストーリーの整合性なんてのは二の次で、展開に困れば“とりあえずフォース”という感じで、とりあえず楽しければ良いでしょと言わんばかりのライブ感のある脚本だった。こういったエンタメに舵を切ったスタンスが見えた時点で、観客であるこちらも細かいことから目を背け、とにかく楽しむという姿勢を貫くよう心がけた。そうすることで、無数にある粗が自然と見えなくなり、目まぐるしく展開されるストーリーに没頭してしまう。なかでも、“スパイがハックス将軍であったこと”、“レイの正体がパルパティーンの孫であったこと”には、思わず「え!」と劇場で声を上げそうになるほど、まんまと驚いてしまった。また、C-3POが重要な情報と引き換えに記憶を失うことになり、その前にみんなの姿を目に焼き付けようとするシーンには涙が出てしまった(その後、さらっと記憶が復元できていたのは残念だったが)。チューイがレイアの死を知って落胆するシーンもつい泣いてしまった(ただ、エピソードVIIIのレイアの空中浮遊やキャリー・フィッシャー本人の逝去もあって、レイアの死自体にはなんの感情も湧かなかったが)。そして、クライマックスでランドとチューイが大勢の仲間を引き連れて現れるシーンには、胸を焦がすほど熱くなってしまった。これだけフラグがビンビンで超ベタな展開でも、さすがにこの展開はぐっときてしまう。『アベンジャーズ/エンドゲーム』でも同様のシーンがあったが、あちらも素晴らしかったのは言うまでもない。なんといっても、ラストシーンにてレイがスカイウォーカー姓を名乗るのも、これまたニクかった。
…とまあ、思い返すとまんまと楽しんでしまった。心に残るものも少ないし、これで本当に完結で良いのかのいう疑念は拭いきれないが、楽しい映画であったのは間違いない。

最後に、改めて新3部作のキャラクターたちを思い返してみる。まず、レイにはどうしても感情移入ができなかった。とりあえず脚本に苦悩や葛藤を強いられている感が否めず、脚本に操られた道化でしかない印象。反対に、彼女と対をなす関係であるカイロ・レンは血が通っていて良いキャラクターだった。特に、エピソードVIIで化けたという印象。結局、新3部作はカイロ・レンの物語だった。なんならレイへの片想いを描いたラブストーリーで、エピソードVIIIで酷いフラれ方をしてしまったが、最後は自分の命と引き換えに結ばれるなんて素敵じゃないか。つい「良かったね、ベン…」という気持ちでいっぱいになってしまった。もうすっかり、アダム・ドライバーを見ただけで涙ぐんでしまう体になってしまった。ただ、あのキスはさすがに意味不明だったのが唯一の残念ポイントだ。それと、今作ではらローズをモブに引き下げてくれたことには盛大な拍手を送りたい。
DJあおやま

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