三四郎

ヒトラー暗殺、13分の誤算の三四郎のレビュー・感想・評価

ヒトラー暗殺、13分の誤算(2015年製作の映画)
1.0
主人公ゲオルク・エルザーに全然共感できない!
ただの女たらしで特に共鳴しているわけでもないのに故郷の友人たちと同様に「赤色戦線戦士同盟」(共産党の戦闘部隊)に入隊。ドイツの労働者階級では普通のことなのかもしれないが、彼には、マチルド・ニーダーマンという女性との間に非嫡出子がおり、さらに人妻にも手を出した…。彼は決して人格者ではない。

家族・友人の困窮、ユダヤ人迫害、連行された同志たちの強制労働を目にし、ナチスへの嫌悪感は一層強まる。さらにドイツのポーランド侵攻、英仏によるドイツへの宣戦布告による第2次世界大戦勃発にドイツの未来を案じ、彼はヒトラー暗殺を企てる…と、映画では描かれているが、彼は自分の周りの人たち以外が豊かになり幸せになっていくのを見て、自分たちが恵まれないままであることをヒトラー一人のせいにしたのではなかろうか?故に、ヒトラー暗殺計画を実行したのではなかろうか?あゝ、なんとも短絡的!そして、彼には失うものが何もなかった。

教養のある者は時にその教養が行動を起こす際に邪魔をし、教養のない者はただひたすら前進する。

彼がヒトラー暗殺を企てたのは、正義感でも祖国の為でもなく、非嫡出子として生まれ、アルコール依存症の継父を持ち、家は貧しく…、といった彼の生い立ちにも原因があるように思う。

映画のラストに以下の解説が映し出される。
「ヒトラーが始めた戦争で5500万人以上が死亡した
エルザーが反体制の闘士と認められるまで数十年を要した」
「ヒトラーが始めた戦争」というのは事実であるが、正しくは「ナチス・ドイツが始めた戦争」とするべきだろう。ヒトラーを擁護する気は毛頭ないが、戦後のドイツはヒトラー一人に罪をなすりつけ過ぎている。
「ヒトラーが始めた戦争で5500万人以上が死亡した」と強調しているが、エルザーのヒトラー暗殺計画で8人が死亡、57人が負傷し、その内15人が重傷を負ったという事実も同時に解説するべきだ。死者8人のうち一人は、ナチスとは全く関係のない臨時ウェイトレスの女性で、彼女は夫と二人の幼い子供を残して亡くなった。殺した人の数で罪の重さが決まるのか?

そして一番嫌悪感を抱いたのは「エルザーが反体制の闘士と認められるまで数十年を要した」という記述。なぜ彼を「反体制の闘士」と認める必要があるのか?映画で描かれている彼の人生を観ても、彼に確固たる思想と意志があったとは思えない。もちろん、思想と意志があればいいというわけでもないが…なんと言えばよいのか、この反ナチス、反ヒトラーだった者たちを英雄視する風潮はいつになったらなくなるのだろう…。ある意味、戦後ドイツの"病気"だろう。

2003年にゲオルク・エルザー生誕100周年を記念して彼の記念切手や記念碑、さらに彼の名を冠したゲオルク・エルザー・シューレ(小・中学校)が彼の故郷ケーニヒスブロンに建てられたようだ。2020年には、彼の生涯を描いた短編オペラも上演されている。
この映画を見ただけで私はゲオルク・エルザーという人物に嫌悪感を抱いたが、果たしてそれは少数派なのだろうか…。
「じゃぁ、お前は彼が人格者なら彼を称賛していたのか?」と自問し「完璧な人などいないさ」とあざ笑いながら自答している自分がいる。
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