映画漬廃人伊波興一

ワンダーウーマンの映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

ワンダーウーマン(2017年製作の映画)
3.1
(愛こそが全て)
敢えてそこに帰結させる潔さに21世紀の今、とても惹かれます


パティ・ジェンキンス
「ワンダーウーマン」

女性だけで統治されるセミッシラ島で少女ダイアナが息を呑んで見つめる女闘士たちの訓練の様子にまず圧倒されました。

そして(外界)からそのまま飛び込むようにセミッシラ島に上陸するドイツ軍隊の銃攻撃に対して、ひたすら弓を正確に射る場面にも圧倒されました。

いずれもこちらの目に映る被写体の再現性に圧倒されたわけではありません。

そんな光景、バラエティー番組でよく流れる(衝撃の瞬間映像)どころか、スーパーイリュージョンなどでも充分見慣れたきた私たちです。

「ワンダーウーマン」の至る所で率直に驚く理由は瞳に映る認識を根底から覆すような、馴到しえない画面の連鎖というべきものです。

それは、ケープをひるがえし大空を一直線に飛ぶスーパーマンや、大実業家が己の資本の総力を結集させて作り上げたコンバットスーツを身に纏い、羽根とワイヤー使って上昇下降を自在に繰り返すバットマン、さらに体内に秘めた蜘蛛のDNAから授かった粘着質の糸で、自らの重みを振り子にビルとビルの間を前後左右に飛び動くスパイダーマンといったDCコミックヒーローのみならず、未来の戦士となる少年を守るべく体を張るターミネーターからエイリアンと死闘する宇宙航海士リプリー、世界一ツイていないマクレーン刑事といった生身の人間に至るまで同じ事です。

ヒーローたちの活劇に、私たちの驚きが断ち切れる事なく持続させられるのは、そんなショットの連鎖という怪物の力ゆえに他なりません。

それにもまして「ワンダーウーマン」にもっとも惹かれるのは近代のヒーローらしからぬくらいに悩みや迷いを抱えぬダイアナの無欲の倫理観にありました。

そもそもの出自が、母親のヒッポリタ女王に粘土で形造られ、命はアプロディーテーから、そして超人的能力はギリシャの神々から授かった彼女です。

アマゾン族のトレーニングで、戦術、探索、戦闘における幅広い類まれなる能力を叩き込まれるだけでなく、多国籍言語を習得し、化学から物理、数学などの自然科学にまで長けた怖いものナシのダイアナが唯一知らない恐ろしさは人間が持つ底無しの(欲)そのもの。

悪人が存在しない世界でそのまま大人になったのだから無理ありません。

クリス・パイン扮する男の裸を初めて見て、そのサイズは標準的なの?と問う場面に一切の官能性が介入されないのは人間の生殖行為や、セックスへの快楽をロジカルにしか解析出来ないから。
一応、ラブシーンらしき場面もありますがワンカットとも呼べそうにないインサート程度に自粛されてます。

戦いの神アレスさえ倒せば人間世界に恒久の平和が訪れると信じてやまないほど理想主義で固まったダイアナが、人間世界に幻滅した後でも(愛こそが全て)と立ち上がれたのは彼女がまだまだ人間として(素人)であったからです。
何故なら(玄人)はまず不可能な点を考えますが(素人)は可能な点しか考えないのですから。

パティ・ジェンキンスの演出は(真実の投げ縄)や、2つの破壊できない(腕輪)、投擲武器となる(ティアラ)など、先進的なテクノロジーの運動性を視覚化すべく、ワイヤーとCGを巧みに織りまぜながら、カット割など存在しないような流れに乗せていくほどデジタル的ですが、何故か精巧緻密なアナログ手作業のような好ましい印象を招くのは、まさに(愛こそ全て)と21世紀の現代に敢えて徹する潔さに尽きると思うのです。