武田鉄矢は実際に教師を目指していた時期があるらしく、そのエピソードについてはライブでのトークのことであるから話半分で受け取る必要があるが(鉄矢は調子に乗って話を盛るのが常なので)、なんでも生徒たちに答えの間違いを指摘されたのだが自分が間違っているはずがないと思い生徒たちを叱責し全員廊下に立たせ、後で自分が間違っていたことに気付いて教師は向いてないなとその道を諦めたのだとか。
この映画の武田鉄矢は教師という役柄上どうしても金八先生を彷彿とさせるところもあるのだが、金八先生ほど人間が出来ておらず、『幸福の黄色いハンカチ』の武田鉄矢がその後桃井かおりに振られて教職を目指したら…という感じの半人前キャラクター。生徒たちの前では教師だからと大人を演じて見せるが中身は悩み多く孤独が常にまとわりつく。
故郷博多から遠く離れた東北の地で様々な出会いや事件を経験するが、最後までコミュニティには馴染めず本音をさらけ出さない孤独なよそ者であり続ける、という反ヒューマンドラマ的な展開がちょっと珍しく、武田鉄矢が投宿する呉服屋の息子の鬱屈と武田鉄矢の屈折が交わるようで交わらないドラマは、旅人がひとつのテーマとなっている海援隊の詩世界をなかなか見事に取り入れた(かもしれない)ものとなっている。
「思えば遠くへ来たもんだ」。その言葉に滲む寂しさは、誰も彼もままならない人生を送りながら、そんなもんだと表向きは開き直っている、けれども心の奥底ではここではないどこかを望んでいるような、山本圭ら地元の人々のやるせなさを密かに代弁するものでもあるだろうと思う。