マコ

マドモアゼルのマコのネタバレレビュー・内容・結末

マドモアゼル(1966年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

ジャンヌ・モローがすごい。シーンによって年齢が10歳くらい違って見える。ハウルの動く城ではときめきによってソフィーの見た目年齢が変化するけれど、人がやってこの差はすごい。

マドモアゼルが悪いってさんざん言われてるけど、これだけセクハラ受けてたらそりゃこうなるわ。人々のひとつひとつは小さい何気ない悪意が貧しい少年に勉強を教えてあげるような善人をこれだけのことをする悪魔に変えてしまったって話だと思った。ミヒャエル・ハネケのピアニストともかぶる部分はあると思う。

この映画が作られたとき(1966年くらい)、ジャンヌ・モローは38歳くらい。パリでは40歳までは若者扱いなので(1959年発表、フランソワーズ・サガン「ブラームスはお好き?」新潮文庫の解説が根拠)、今の日本のアラサー女性くらいの感覚なのではないでしょうか。都会ではギリギリ若者に入るけど、田舎では「女のくせにそんな年にもなって結婚もしないで・・・」とか「結婚できなくてかわいそう」とか言われる。あるあるですね。その中でなんとか自分を保つためにいつもきれいにお化粧していたり、おしゃれしたりしているんだけど、村で一番教養があって自立だってしているのに、村の警察の仕事(タイプ打ち)だって手伝ってあげてるのに、言われることが「あの年で結婚もしてないから頭おかしくなってるんだ」ですよ。そりゃストレスたまりますよ。結婚してないからおかしくなってるんじゃなくて、そんなことを言われ続けているからおかしくなってるんですよ。しかもこの人って舐められないようにお高い態度をとっているだけで、ほんとは大人しい控えめなタイプなんじゃないかな。イタリア人のイケメンを陰から見つめているだけだしね。
この人が悪いことするのって好きな人のかっこいいところを見たいだけなんだろうな。そこが彼女の非常に少女趣味というか子供なところですね。

映画はじまって最初の頃の靴をやたら大事にするシーンや、お化粧中に犬が吠えてイラっとして放火しに行くシーンに狂気を感じた。

お高くとまってるくせに結局イケメンとセックスして喜んでるメス犬じゃん、って思いがちだけど、それはマドモアゼルの側に立っていない意見だと思う。彼女からしたらずっと好きだった人に愛されてうれしいだけなんじゃないかな。で無邪気な幸せに浸ってるときに突然「明日息子とこの村を出ていく」って言われたら、幸せな気分台無しになるじゃないですか。使い捨てにされた=性的に搾取されたって思うじゃないですか。実際そうだし。リンチの引き金になる「ウイ」に限って言えば、嘘は(協調)言ってないんだよな。

さんざんマドモアゼルをかばってきたけど、一番かわいそうなのは子供です。村の人たちにもう少しデリカシーがあったら、マドモアゼルがもう少し大人だったら、イケメンが女関係にもう少し節操があったら、みんな幸せに暮らしていけたんじゃないでしょうか。
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