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閉ざされた谷
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『閉ざされた谷』に投稿された感想・評価

南仏のヴォクリューズの泉を巡る物語が展開されているとのことだが、地図の場所にいるのかもわからない。谷に放り出された我々はとにかくその土地を体感するしかない。「迷子」を体感するアート作品と観ればいいのか分からないが、その空間の中の時間を感じるしかなく、正解などないのかもしれない。
フィックスショットで対象を捉え続けるこの作品は、ベニングを思わせる観察の形式を取りながら、異なる層を展開する。
持続する風景は自律的にそこに在り続けるが、そこに重なるナレーションは、メカス的な日記の質感を帯びつつも、映像と同期することは無い。目の前の風景を説明するわけでも補強するわけでもなく、別の時間や記憶の層として漂い続ける。
この非同期性が画面にある現在と、語られる時間が噛み合わないまま映画内で併存していた。

同じ場所や同じショットの反復も、状態を持続させるための装置として機能しているが、電話による世俗との接続が断続的に差し込まれることで、内省的な世界は完全なる自己完結型の隠遁には至らない。思索は現代的な労働との関わりの中で持続しており、日常の円環構造の中に組み込まれながらも、静謐な時間はそのバランス中で美しく保たれ続けていた。

石碑に書かれた文面。
この閉ざされた谷(ヴォクリューズ)にて。
俗世の愉悦を逃れフランチェスコ・ペトラルカは、その瞑想の場を求めた、1337年の秋のことである。ラウラへの愛と古代の研究に忠実であり続け、彼の心にとってこれほど愛おしく、また彼の名声にふさわしい場所はほかに存在しなかった。

ヴォクリューズ市から詩人へ
1937年8月
視覚と聴覚が閉ざされては解放される。見る者の肉体を打ち砕く強烈な映画体験が紛れもなくここにある。
画と音はそれぞれに独立し、カメラはただ光(奥行きを照らす立体)と闇(奥行きを消し去る平面)の構成のみを切り取る。ユスターシュ『ナンバー・ゼロ』以来これほどフィルムで撮ることに意識を向けた映画を他に知らない。
「地球を表象すること」と題された章をルソーが掲げたのは紛れもなく、撮られたものだけが現実を表象するという20世紀の「記録無くして事実なし」の精神史を体現することの宣言に他ならない。
映画が大衆の行為と存在を複製させるメディアであるとするならば、ルソーはカメラという複製装置を用いながら、ガレキのような岩や上流より流れてくる川、そして地べたに咲く花へと徹底した物質そのものへの眼差しを向けては一つ一つの物質を画として、音としてフィルムを繋ぎ合わせることで、映画館の暗闇にもう一つの世界=地球を誕生させる。

それは決して単に複製され消費される表象ではなく、個々人にブルジョワやプロレタリアート、貨幣と労働、そして愛の物語をユートピアとして体験させてくれるような、この現実の世界に並立する世界である。

夜の世界に導かれつつある人々が暗闇の平面に取り込まれることなく立体としての岩場に立ち、暗闇との境界を認識しているように、この映画を見た人間は暗闇から光のさす現実へと共闘するなにかを獲得しているだろう。

暗闇は昼の世界に出現する資本を隠蔽し、昼への再生の場として存在しているかのように見える。そして暗闇を灯すのは人々が自らの手で火をつけた花火の明るさでもあるし、天の恵みのような雷でもある。

だが、この映画の結末に示される昼間の海沿いにひっそりと放置されたように立つ公衆電話ボックスは、資本の再生産のための暗闇化を人間の手で施すでも、自然の啓示を待つでもなく、人々がどこかの誰かへとなにかを語る/聞くことで、よりよく生き残る可能性を喚起させる。

ユートピアの世界が現実の世界に覆い被さることができるまで、ルソーはたった1人でもフレームの中で世界にタイトな眼差しを向けながら妥協なき映画を撮り続けるだろう。