南仏のヴォクリューズの泉を巡る物語が展開されているとのことだが、地図の場所にいるのかもわからない。谷に放り出された我々はとにかくその土地を体感するしかない。「迷子」を体感するアート作品と観ればいいの…
>>続きを読むフィックスショットで対象を捉え続けるこの作品は、ベニングを思わせる観察の形式を取りながら、異なる層を展開する。
持続する風景は自律的にそこに在り続けるが、そこに重なるナレーションは、メカス的な日記の…
断片的に語られる土地の記憶と、終わりなき存在論的探究。
私の考えでは、現代実験映画史において最も誠実に、そして真の意味で映画的に世界と向き合っているのは、このジャン=クロード・ルソー、ただ一人であ…
視覚と聴覚が閉ざされては解放される。見る者の肉体を打ち砕く強烈な映画体験が紛れもなくここにある。
画と音はそれぞれに独立し、カメラはただ光(奥行きを照らす立体)と闇(奥行きを消し去る平面)の構成のみ…
言葉にしづらい。言葉でまとめられるのを拒否しているような映像。音や編集にこだわっている。
映像と音は別物として記録され、更に言葉と声と音楽と物音は意識的に区別され、再構築されている。…と思う。
映さ…