OASIS

ロブスターのOASISのネタバレレビュー・内容・結末

ロブスター(2015年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

パートナーの居ない独り者は捕らえられてホテルに監禁され、そこで45日以内に相手を見つけないと動物に姿を変えられてしまうという世界の話。
監督は「籠の中の乙女」のヨルゴス・ランティモス。

「籠の中の乙女」と同様の、狂気と可笑しさが入り混じった摩訶不思議な外界への好奇心&恐怖。
独身ものは人にあらず。
何事も二人で歩む様に世界は出来ている。
シングルとカップル、孤独に嘘をつき諦めるか、パートナーに嘘をつき通すのか。
愛する事愛さない事が罪では無く、それを偽り続ける事こそ罪なのではないかと問いかける。

パートナーと別れ、犬の姿となった実兄と共に暮らす独り身の男デビッドは、強制的にパートナーを探す為にホテルへと送られる。
そこでは、45日の間にパートナーを見つけカップルにならなくてはならない規則があり、それを破ると動物に姿を変えられ森へと送られるという罰が存在した。
シングルとカップルがゾーンで分けられていて、シングルは独り寂しくカップルゾーンを向いて食事をし、カップルのイチャイチャぶりを見せ付けられるというある種の拷問の様な地獄の日常風景が目の前に拡がる。
男性独りの生活、そして女性のパートナーが居る生活、また、その逆パターンを見せられ「パートナーが居ないとこんなに悲惨な生活を送る事になりますよ」という脅しのような光景が何度も何度も繰り返し続き気がおかしくなってしまいそうだが、デビッドの仲間がパートナーをゲットしようとわざと「共通点」を作り出す部分等は笑えたりもする。

思えば、本作のような世界に限らず、日常生活でも好きな相手に対して何かと自分と似た部分=共通点を見つけようとする行為はごく当たり前に行われているもので、それ自体は咎められるようなものでは無い。
けれども、一旦相手の心に歩み寄ったならば、その後は歩を弱めたり後退ったりせずとってしまった行動に責任を持たねばならないという事がある訳で。
興味も無い事に興味があるように見せかけるのは至難の技であり、別れるまでもしくは一生その苦行を強いられる事は動物に変えられてしまうよりも恐ろしいものなのではと、そんな事を思った。

デビッドがパートナー選びに失敗し森へと追放される後半は、シーン毎に可笑しさが込み上げてくる前半と比べると真面目でおとなしくなり、真摯にテーマを伝える事に重きを置いている為かせっかくの不思議な空気がありきたりなものになり冗長に感じてしまった。
パートナーと偽って街に買い物に行くシーンや、「籠の中の乙女」の中でもあったインパクト大で気持ち悪さしか感じないダンスを全員で踊るシーンなどはその世界独特の世界観やユーモア等を感じたのだが。

結局愛する事は「お互いの痛みを分かち合う」という所に帰結するのならば二人の行動は安直過ぎるし、せっかくの動物の姿に変えられてしまうという設定がそこに上手く活かされているとは思わなかった。
例えお互いがシングルになり違う生物に変えられてしまったとしても、再び出会い姿形が違えど確かに愛が生まれるという性別、種族的なものに対する含みも持たせられたのになと、設定の面白さに対して映画の面白さが着いて行けてないように感じた。

コリン・ファレルが役作りの為かめちゃくちゃぽっちゃりおじさんになっていて誰か分からないレベル。
ベン・ウィショーも髪型が角刈りっぽくて色気も無いし、レア・セドゥも森の賢人のようなワイルドさを纏っていて、豪華なキャスト陣がわざと普段とは一味違ったイメージに変身させられているという監督の意地悪さというか遊び心みたいなものは感じられた。
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