YAJ

人生タクシーのYAJのネタバレレビュー・内容・結末

人生タクシー(2015年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

【つるべタクシー】

 どこかの単館で予告編を観て気にはなっていた。金獅子だか金熊だかの賞も獲っているのは、内容が多少政治的だからとは思うが、車載カメラだけでイラン人の日常が描かれているようなユーモラスな予告映像には期待が持てる。
 ほぼドキュメンタリ映画と思っていたけど、…実はそうではなさそう。

 ちょうど封切られた日の日経新聞(4/15付)で映画評論家村山匡一郎氏が本作品を取り上げていて、

「幾つかのシーンの切り返し画面から別のカメラで撮影されていることが知れ、そこから全編が巧妙に演出されているのがわかる」
「演出は少々あからさまなところが見えるが」

 と評していて、逆に興味を持った。というより、演出されている作品と事前に分かって観に行って良かった。ユーモアをちりばめ戯画的に誇張された、体制批判をふんだんに含んだ気骨あるフィクション映画だった(これから観る人も、これは知った上で観たほうが誤解がなくていい)。

 コンパクトに1日だけの話とし、魅力的な登場人物たちに過不足なく台詞を語らせ、諧謔と批判精神に溢れた小粋な作品として楽しめる。
 惜しむらくは、やはりこれが本物のドキュメンタリだったならというところか。イラン国民の本音が見聞きできたらもっと面白かった(あるいは、そういう本音が出ないことが判ったとしても、それはそれで面白そうだ)。

 ドライバーに扮した監督が映画製作を志す学生に、映画の題材は既存の本や映画の中にない、「過去に例のないところから見つけ出せ」的なアドバイスをするシーンがある。それは監督の本音だろうし、この作品の製作意図のひとつでもあったかと思う。



(ネタバレ含む)



 筋としては単純。いや、巧妙。イランの当局から映画製作を禁じられているというジャファル・パナヒ監督がタクシーの運転手に扮し、車載カメラ(どうやら3台ある設定のようだ)で乗客の様子、会話を”隠し撮り”する1日の様子が描かれる。

 監督は昔「つるべタクシー」を見たことがあるのかもしれない(笑)「お客さん、どちらまで?」と鶴瓶扮する運ちゃんが語りかけ後部座席に座ったゲストと互いに前を向いたままの会話が始まる「突然ガバチョ!」の名物コーナーだ。冒頭「このコーナーはすべてノンフィクションであり、登場する人物・団体およびつい口をすべらした話はすべて真実です!」というテロップが流れ、鶴瓶の巧みな話術で喋らされてしまった話の信憑性を高める。
 それを模して(なのかは知らないけど)、車内という密室で交される会話は”本音”という暗黙の了解が観る側にも生じる趣向が巧みだ(実は違うのだけど)。

 登場人物は、「死刑制度について議論する路上強盗と教師」、「一儲けを企む海賊版レンタルビデオ業者」、「交通事故に遭った夫と泣き叫ぶ妻」、「映画の題材に悩む監督志望の大学生」、「金魚鉢を手に急ぐ二人の老婆」、「国内で上映可能な映画を撮影する小学生の姪」、「強盗に襲われた裕福な幼なじみ」、「政府から停職処分を受けた弁護士」(公式サイトより)、それとゴミ拾いの少年と最後にバイクに乗った2人組などだ。
「演出は少々あからさまなところが見える」と映画評にもあるように、むしろ”隠し撮り”していることを隠していないところが潔かったりもする。

 最初の乗客にさっそく「これカメラでしょ?」と言われ、その乗客(死刑制度について議論する路上強盗)が前方を映してたカメラをイヂり180度回転させたかと思うと、後部座席に乗った女性教師も綺麗に収まる構図でピタリとカメラが止まる。あぁ、こりゃ計算されているというのがひと目で判る。
 3人目のレンタルビデオ業者には「パナヒ監督でしょ?」と正体すら見破られる。別アングルからの絵が必要な時は、自分のスマホや、乗客の持っているデジカメの動画を使うなど、現代だから出来る手法で多角的な視点を織り交ぜる。

 あとはタイミングだろうか。数日間流して撮ったものを編集でまとめたのではなく、わずか短時間にもかかわらず次々と乗客が入れ替わる(しかもワケありの乗客ばかり)。ビデオ業者が降車して宅配先にDVDを届けているシーンは、車載カメラで前方を映すだけの単純な絵になるところ、運転手(要は監督)にタイミングよく電話がかかり、その会話 ー内容は次の場面への伏線にもなっている ーで場を保つ。あるいは乗客側にストーリが生じるシーンでは、運転手は「ちょっと待ってて」と別の用があって車を降りてどこかへ消えていく。

 あまりにもあざとくベタすぎる。こうまであからさまにしないとドキュメンタリと勘違いする観客がいては困るので敢えてやってますよ、くらいの勢いだ。 いや、ホント、ドキュメンタリ風に撮った演出された作品、と事前に分かった上で観に行ってよかったと思った。

 ここまで露骨に演出の手法が見て取れるわりには、エンドロールで出演者の名前は出さず(公式ページにも)、あくまで偶然乗り合わせた人たちを装う周到さ?! あるいは、出演者への当局からの圧力回避の意図か?(ここまで顔を晒しておいてそれは無理だろう。むしろイランに居ない役者さんたちではないかと勘繰っている)。

 公式サイトの監督profileには自国で法の沙汰を受けている現状が紹介されている。

「映画製作・脚本執筆・海外旅行・インタビューを20年間禁じられ、違反すれば、6年間の懲役を科される可能性があり、それが最近の3作品を許可なく製作した理由である。また、思想の自由のためのサハロフ賞及び自由のための芸術メダル含む、多数の人権関連の賞を受賞している。」

 自国内での製作、上映許可を得られないとはいえ、作品が海外で公開されていることを当局が知らないわけはなかろう。本人の身柄が現在どうなっているのか知らないが、自分の置かれた境遇を賢く利用して国際的評価を得ている、なかなかの知恵者なのではなかろうか。自分の言いたい本音(体制批判も含め)をドキュメンタリを装って乗客に言わせるなど(だからと言って、全ての責は監督が負っているとは思うが)、一見、人が良さそうなだけに、パナヒ監督自身のシタタカサが垣間見れる作品でもあった。

 強盗に襲われた裕福な幼なじみが言う。
「悪人も善人と同じ顔をしている」
 悪人顔をチラリと覗かせながら、善人然としたパヒナ監督が嘯く世相批判のコメディと割り切って観れば、なかなか痛快。悪くない。
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