大傑作。
約束された終わりに向かって、断片的なエピソードが紡がれていく。徐々に間隔を狭めながら。それは悲劇のヒロインのものでも、戦争の英雄のものでもなく、「犠牲者」として一括りにされる市井の物語だ。
その手さばきは芳醇でありながら、非説明的。例えば遊女との交流など、作中では一度しか描かれないし、彼女が遊女であるという直接的な説明もない。そもそもお互いの名を名乗るシーンすらない。それでもすずのバッグからこぼれ落ちる口紅だけで全てが伝わる。ディテールは雄弁だ。
戦争が固有性を塗り潰す中(息子の顔も分からなくなって!)、それでもどこかで誰かが誰かを特別にする。すずのイマジネーションが夫婦を引き付けたように、片手を失った女と親を亡くした孤児が身を寄せるように。今作が「かわいそう」で終わらないのは、決して消えない光を信じ続ける強度があるからだ。
そしてなによりも、作中の年号が「昭和○○年××月」ではなく、「○○年××月」であることを、僕らは忘れるべきではない。
(追記)憲兵を影で笑ったり、玉音放送に退屈したりが何とも愛おしい。