えくそしす島

或る終焉のえくそしす島のレビュー・感想・評価

或る終焉(2015年製作の映画)
4.5
【コップ】

ネタバレ無しレビューを主としているが、今作は作品の根幹とラストのネタバレが表裏一体の為に致し方なく…。

途中からネタバレ注意の文言あり!

あらすじ
息子の死を機に、別れた妻子とも顔を合わせなくなったデヴィッド。終末期の患者をケアする看護師として働く彼は、患者の在宅看護とエクササイズに没頭するだけの日々を送っていたが、自身の過去と患者への思いの狭間で激しく葛藤する。

定点カメラの様な撮影、極力セリフを抑え、音楽もほぼ無く、その場で見ているのかと見紛う程の描写の数々…。
それでいて独自性に溢れる雰囲気や空気感をも醸し出している。
ミシェル・フランコ監督の毎作の事ではあるが内面に抉り込むようなテーマ。

初めて「父の秘密」を観た時に、まだまだ知らない素晴らしい監督がいるものだと思った。
すぐさま監督を調べて驚愕したのを覚えている。この若さで、長編二作目でこれを表現したのか…と。

そして今作

未視聴の方々はここから先は見ちゃだめーっ!ぺしぺし!お帰り!
以下、ネタバレ注意!!!!






私はレビューを書く時にどの視点に重きを置くかをよく考える。
今作では様々なテーマが混在している。終末医療やケア、介護、安楽死や尊厳死、家族、そして「自死」

自分の身内には自殺者がいる。その後の家族間での阿鼻叫喚は忘れられない。

誰かを責める人、自分を責める人、責任転嫁する人、我関せずの人。

近しい人であればあるほど文字通り地獄だ。それが一生涯付き纏う。

デヴィッドは息子に安楽死への決断をした過去がある。これには正誤なんてものはない。

だが、その決断で苦しむ。
当然だ、人間なのだから。

その時から常に自死の文字は頭にあった筈だ。様々な終焉を目の当たりにしてきて自分は…と、自問自答を繰り返していたようにも思えた。

献身すぎるほど患者に寄り添う

贖罪かのように、息子からの赦しを請うかのように、傷を埋め合わせるかのように。

デヴィッドは仕事以外ではいつも走っている。趣味と言うには意味合いが違う。

何故走り続けるのか痛いほどよくわかる

一時でも頭を真っ白にして逃避出来るものは自分でも他に思い付かない。

終末期介護や医療ならではの慢性的な鬱、息子への想い、献身的にお世話をした人々達の終焉。

真綿で首を絞めるが如く自死へと向かっていく。

終末患者への安楽死幇助や少年の患者からの拒絶はきっかけに過ぎない。

すでに自分の中のコップは溢れる寸前だった。

ラスト
いつもの様に走り、ジョギングに見せかけ、車を目視で数度確認をし、信号を見て、歩幅、歩調のタイミングを合わせ、車に轢かれ、自殺をする。

前方不注意での事故死と自殺とでは、残された家族や知人にとっての痛みや遺族感情は雲泥の差だ。

それはもう言葉にできないほどの差がある。

今作は衝撃的なラストや唐突なラストと言われているが自分の意見は全く違う。

これ以外には考えられない。最初からこの終焉へ向かっていた。

そして邦題もこれしか考えられない。

「或る終焉」