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私、君、彼、彼女のnetfilmsのレビュー・感想・評価

私、君、彼、彼女(1974年製作の映画)
4.2
 いきなり家具を青く塗ったかと思えば翌日、緑に塗り直す。かと思うとベッドの位置が気に入らず、頭の方角をしょっちゅう変えて見せる。多分に神経症的なヒロインの姿をシャンタル・アケルマン自身が演じる。躁と鬱とで言えば明らかに鬱で、引きこもり気味のヒロインは誰かに向けて手紙を書く。最後まで書くが気に入らず、もう一度手紙を最後まで書く。この引きこもり気味の部屋での様子を仮に第1部と規定するならば、1部では様々な身振りが何度も反復されるものの、そこには不意に差異が生じるのだ。裸になってみると言いながら、彼女はカメラの前で実際に服を脱いで行く。彼女のふくよかな体は常に横になり続け、まるで第3部の愛の抱擁を想起させるようにただ1人悶え続ける。かと思うと砂糖の入った紙袋に何度も手を伸ばす様子がロング・ショットで据えられる。ここでの彼女の腕の動きが正直申し上げてかなり狂っている。アケルマンは若い時から「やっべーぞ」だったのだ。主食が砂糖だけというのも極めて危険な気もするが、その割にはよそ見していて普通の砂のように思いっきり零したりすると思ったら、案の定食料である砂糖は底を突き、引きこもり続けた彼女はどうしても外に出なければならなくなる。ここでは処女短編『街をぶっ飛ばせ』で台所という狭小空間に場ミリをしてまで籠城し続けたのとは打って変わり、書を捨てよ町へ出ようの精神で突然引きこもり生活から雑菌だらけの街へと繰り出す。ここまでがイントロダクション。

 俯瞰で望遠で撮られた映像の中で彼女はヒッチハイクし続けるというのが何とも狂っている。むしろ食材確保の為にスーパーへ行けなのだが、そう言えば第1部の最後では彼女の裸を見つめる男の目があった。夜な夜な街に出た彼女の放浪の旅は緩い出会いの旅でもある。酒をちびちび呑み続けながら、昨日まで部屋に引き籠もっていたとはとても思えない素敵な笑顔で男たちに目配せする。当時24歳だったシャンタル・アケルマンは実にチャーミングで目が離せない人だった。場末のバーではGato Barbieriの『Last Tango In Paris』が流れている。『ヴァイブレータ』を撮った廣木隆一に見せたら30年早く遠く離れたベルギーの地でこのような映画が撮られていたことにただただ驚くのだろうが、極めつけはアケルマンの情というか何とも無垢な惚れっぽさだろう。まぁ正直言ってすっかり草臥れたあんしんパパのどの辺りのエピソードが刺さったのかは私にはさっぱりわからぬが、『一晩中』のような暗闇の中での情熱的なキスの後、男は手淫で果てる。然しながらシャンタル・アケルマン扮するジュリーという名のヒロインはどこにも情も名残り惜しさもを残さぬまますぐに消えて行く。次の場所へと旅立って行く。3部の真に革命的なラストのバイセクシュアルな狂った野獣のようなロング・ショットでの長回しはおそらく、映画史上初めての同性愛描写としてつとに有名で、アケルマンは異性愛映画の様にこの場面を綺麗に美しくフェティッシュに撮ろうとしない。その上、役目を終えたと言わんばかりの非・情緒的なジュリーの姿が極めて印象的だ。

 タイトルは正しくは『私、君、彼、彼女』ではなく、『私、あなた、彼、彼女』である。あなたと留保される人物とはつまり我々観客であり、シャンタル・アケルマンの映画というのは常に我々観客との応答を無意識に求めていた。
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