私、君、彼、彼女の作品情報・感想・評価

「私、君、彼、彼女」に投稿された感想・評価

roland

rolandの感想・評価

-
アケルマンが部屋から出るとき。

Je, tu, il, elle
そのすべてを無効にする私。
すくっては狭間からこぼれ落ちる砂糖。
TA

TAの感想・評価

5.0
最高に素敵な映画だと思う。
シャンタル先生。
さど

さどの感想・評価

-
静かに見えて物凄い深淵を感じる。全体に水銀のように薄く張られた膜によって私たちはかえって剥き出しの”欲”にまざまざと向き合わざるを得なくなる。
手紙を書くのが机の上でなくマットレスの上なのが良い。音が特に。
紙がくしゃっとなって書きにくそうだが気にしない女の子。あぐらをかいているのも良い。

一人でいるとき、トラック運転手との「今だけ」の関係、女友達(セフレ?)といるとき、それぞれで異なる姿を見せる主人公の女の子。
シャンタル・アケルマン自身が演じるその女の子は実は同一の人物ではないのかもしれないと思ってしまう。
カイエ・デュ・シネマ週間での邦題は「私、あなた、彼、彼女」
やはり綿密は構図と光彩が秀逸に美しい。窓ガラスや鏡に写し出される‘私’の姿。‘私’は自分自身をも赤裸々に見つめている。
甘いものが苦手だから、砂糖があんな風に食べれるものなのか理解不能なんだけど(笑) 床に散らばる出さない手紙に、衝動的に待つことをやめた‘私’のお腹が空いたからという行動理由は奔放で良いな。
‘あなた’=‘彼女’と認識してるんだが、‘彼女’の元へ向かう為ヒッチハイクしたトラッカーの‘彼’が語る家庭の事情や浮気の話から、この作品を撮った時のアケルマンはまだ20代前半で、結婚や家庭生活に囚われることを危惧している感じがする。‘彼’との関わりも行きずりだから良いのだ。
‘彼女’との性的交わりでさえ、ひとときの熱情。
‘私’は思うがまま、あるがままなんだな。
spacegomi

spacegomiの感想・評価

4.5
アケルマン④

マットレス以外に何もない部屋で心身ともに素っ裸のまま"あなた"への心情を綴る一章、ヒッチハイクで出会った"彼"へ複雑な眼差しを向ける2章、"彼女"を訪れ動物的に愛を求める3章。"私"は3人の他者を巡る小さな旅をする
肉体的および精神的移動を通じて3人の他者と対峙する"私<Je>"を演じるアケルマン自身のアイデンティティやセクシャリティ、あるいは他者との関係性に対する"私<Je>"の深い洞察が垣間見える。一人称が無数に存在する日本語話者にはこんなの撮れそうにない。

モノクロでフィックスショットの続く画面、劇的なことは(表層上は)何も起こらない3章仕立ての旅ということで、ジャームッシュの『ストレンジャー・ザンパラダイス』を想起した。こっちの方が先だけど。
3104

3104の感想・評価

3.8
ざっくり無造作に成り行きに任せ作られているようで、勿論そうではない。緻密に見せない緻密さや、さりげなささえ感じさせないさりげないユーモアで全編が彩られている。

映画は3つのパートから成る。
1:部屋
「私」は主人公の女性。演じているアケルマン自身でもあろう。私は部屋にこもり、誰かに宛て手紙をしたためる。
「あなた」はその手紙の宛先である。映画を観ている観客をも指しているのか。どちらにせよスクリーンにその姿は映らない。

2:トラック
やがて部屋を出た私はヒッチハイクでトラック運転手の「彼」と出会う。彼の長い話。普段はしないであろう明け透けな話を私はずっと聞いている。そして髭を剃る彼をずっと見ている。

3:部屋
長い距離を越えたどり着いたのは「彼女」の部屋。文字通り私の彼女(だった存在)である。
拒否に近い敬遠。許容。そして互いをぶつけ合う激しいセックス。
朝。眠る彼女を残し私は部屋を出ていく。


部屋での28日間(1週間を4回。「創世記」を思わせる構造)、あなた→彼→彼女→部屋を出てどこかへ、エンディング曲のリフレイン・・など【円環】を想起させる構造がそこかしこに。

私的(アケルマン自身の当時の生活・環境・対人関係~劇中の「彼女」はアケルマンの本当の彼女だった~が大いに反映されているという)かつ詩的なテイストだが、静かなタッチゆえか不必要に重くもならず淀みもせず、風通しの良ささえ感じる。

※現邦題『私、あなた、彼、彼女』
りりー

りりーの感想・評価

4.0
『アデル、ブルーは熱い色』が撮られる四十年近く前に、こんな作品が撮られていたなんて。
秋日和

秋日和の感想・評価

4.5
アケルマンがこんなユーモアに充ちた作品を撮っていたなんて!という嬉しい喜びでいっぱい。言ってみれば「私」(=アケルマン)が部屋でダラダラ過ごしながら「君」に手紙を書き、部屋の外に出た後ヒッチハイクをして「彼」に出会い、「彼女」の元へ向かっていく、ただそれだけの物語なのに、なんだか矢鱈と面白く感じた。
まず、冒頭30分の「干物女の生態観察」的シーン(言葉は悪いけど)の面白さにクスクス笑いが止まらない。部屋には紙袋に入った砂糖しか食べるものがないのだけど、それをスプーンで掬って食べる仕草一つ取っても可笑しく、更には靴下の脱ぎ方や寝転がり方なんかも脱力モード全開で最高なのだ。ああ、キャラクターの愛おしさって設定じゃなく、細かい動きにこそ宿るんだなと改めて思わされた。そして、その感情は後半の「ファスナーなかなか閉められないシーン」で再度抱くことになる。
……とかなんとか書いてしまうといかにも映画全体が弛緩しているようだけれど、勿論そんなことはなく、観ている側はドキッとする瞬間に何度か立ち会うことになる。特に「彼女」とのくだりがそうなのだけど、ラブバトルと言ってもいいかもしれない二人の交わり合いには本当に驚かされた。緩やかな映画なようで実は結構スピーディー。だから画面には呆気なさが常に漂っている。
また、少し乱暴に映画を「君」、「彼」、「彼女」の三章に分けるとすると、どの章でも「私」が鏡(ときに鏡として機能する窓)に映った「私」自身を見ていたことに気が付く。だとしたら部屋で一人ダラダラ寝転がっているときも、「彼」や「彼女」と一緒にいるときも、駄目な彼女なりに実は「私」の位置をボンヤリと探していたのだろうか、なんてことも思った。アケルマン自身が「私」を演じていただけに、ちょっとゴチャゴチャ余計なことを考えてしまうそうになる。