mementoore

ぼくの伯父さんのmementooreのレビュー・感想・評価

ぼくの伯父さん(1958年製作の映画)
4.5
面白かった。
ぼーっとしたり時には妙に挙動不審だったりとゆるゆる生活をしているユロ伯父さんとその甥っ子にあたるジェラールの二人が主人公。ジェラールの両親であるアルベル夫妻はブルジョワで、ジェラールには現代的な教育を与えたいのだが、ジェラール自身は過剰に清潔で規則に口うるさい家庭環境に退屈している。アルベル夫妻はいつまでも定職につかずフラフラしているユロ伯父さんのこともまた気にかけ、何度か職を紹介するがうまくいかない。ジェラールとユロ伯父さんはそんな中で意気投合していく。
特筆すべきはこれが機械と犬の映画だということ。最初と最後のシーンはどちらも犬たちが走っているし、中盤ではセンサーによってドアが開閉する車庫の中にアルベル夫妻が飼い犬によって閉じ込められてしまうシーンがある。
室内に入ってきてしまった野良犬たちを外に追い出すことと、工場で出来上がってしまった不良品のホースを不法投棄しようと右往左往することとが、見ている間に繋がってくる。
ここから、人間そのもののままならなさということを思う。前半のアルベル家でのパーティーのシーンのはちゃめちゃ具合(踏み石を踏み外す、水道管を壊す、水道管を治すために土を掘る、木の枝を折る、木の枝を折って敷地の外へ投げる、飲み物の入ったグラスを置いたままテーブルを移動してそれが人にかかる、池の中に入る)や、ユロが面接する際に靴の裏に白いペンキを踏んだまま入室し、靴紐を結ぶためにあちこちに足跡をつけ、その痕跡からユロが隣の部屋を覗き見していたと勘違いされてしまうシーンなどたくさん。
過剰に装飾的になっているアルベル家の庭は、もはや有用性を脇に置いている。こんなふうに道を曲げなくてもいいのに、こんなふうに卵を茹でなくてもいいのに、と笑うことは、笑わせるための用意されたボケや不自然さというよりは、もっと広く、人間ってこういうことしないではいられないよね、ということを飲み込んでいるのだろう。人間にとってままならない存在である機械と犬をきっかけに、そもそも人間が人間にとって不合理であるということを突きつけ、そしてそれを朗らかに笑う映画。同時にその朗らかさに保守的な欺瞞も潜んでいることも事実だろう。
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