元旦の朝、マーフィーは電話で起こされる。隣で眠るのは妻。そして、可愛い一人息子。
電話の相手は、元カノの母だった。元カノのエレクトラが2ヶ月間音信不通だというメッセージが残っていた。
息子以外、全てに嫌気がさしているマーフィー。
その電話によって、浮気相手(今の妻)に子供ができたことで別れたエレクトラとの2年間の思い出が甦る…
あんなにも愛した女性だったのに…
その過去の思い出が、回想録として、断片的に描かれる。
愛し、愛され、浮気し、罵りあい、嫉妬し、刺激を求め、傷つき…
セックスシーンはかなり多い。飽きるほど多い。
主人公の行動にも正直なところ呆れる。自分が浮気したくせに‼と… 思い出すのはその事ばっかりかい‼と。
が、交差する時系列の中、本質である“愛”というものがみえる。
それまで、官能的であり、衝動的であり、肉欲と色欲であり、嫉妬故のものである “性”でしかなかったセックスが、だんだんと違うもののように描かれている。と、思う。
時系列が、だんだんと過去に遡っていく。
後半では、初めて出会った時。初めて結ばれた時。が描かれる。
マーフィーはそれに向き合い、その感情が甦る。
そこで彼が感じるものは…
赤い浴槽でシャワーに打たれながら号泣するマーフィー。それを覗く妻。
マーフィーが思い描くのは妊娠したエレクトラ。
浴槽に現れた息子。号泣する息子をなきながら抱く。
段々と狭まる画面。黒枠が迫り、圧迫感を感じる中、裸で抱き合うマーフィーとエレクトラ。
真っ赤になる画面に、「LOVE」。
愛とはなんぞや。
どうやって人を愛すればよかったのか…
人は誰しも間違いをおかす。
なにが大事なのかを忘れる。
その代償の大きさ…
ドラッグとセックスまみれのどうしようもない恋愛模様なのに、思わず涙してしまった…
そのシーンばかり取り上げられてしまうこの作品だけれども、合間に繰り広げられる多くない会話も実に深いと思う。
特に後半にいたっては、“愛”というものに対して、哲学的であり、リアルであり、私はホラーとも感じた。愛の呪縛というものは、時に情熱的であり、欲望であり、時に恐怖にもなる。そして、それは、人を逃がしてはくれない。
しかしまぁ、前述したように、ベッドシーンがほとんどといっていいほど多い。半分以上。それも、普通のじゃなくて、複数とか同性愛も…そして、3Dという事で、飛び出すアレやアレがあると話題になった本作。なぜ3Dにしたのかというと、やはり生々しさを表現しその場にリアルに入り込んで欲しかったからと監督は語るが、日本では全編にぼかしが入っていて、そこは残念に思う。エロの観点ではなく(笑)
愛と性のみを表現しようとしたこの作品で、モザイクが入ることによって、ただの“ポルノ”作品といったものになってしまう事が勿体ないと思うから。性が芸術作品でなってしまった。
そして、フランス映画っぽいなと思ったのが風刺。フランスで暮らすマーフィー。映画監督を夢見る男性なのですが、そこにぷちっと風刺もあります。「独占欲」の強さをアメリカの現状とあわせてみたりと。博愛で性に寛容なヨーロッパと、あれもこれも手を出すくせに強欲になっているアメリカを揶揄しているんだなと思う。
余談。マーフィーが子供につけようと思った名前がギャスパー。エレクトラの元彼の名前がノエ。マーフィーがエレクトラとの思い出をこっそりしまっているビデオケースは、多分『カノン』。ノエ監督、どんだけ自分が好きなんじゃい‼(笑)
まぁ、とにかく、ノエ監督にしては見やすいと思います。音楽はやはり良いし、色使いの変化での表現方法や、細かく刻まれたカットもかっこよく、スタイリッシュです。
“愛と精液と涙”の物語