骨折り損

永い言い訳の骨折り損のレビュー・感想・評価

永い言い訳(2016年製作の映画)
4.2
いつまで。

いつまで続けるのだろうか、この言い訳を。いつまで付き合い続けるのだろうか、この気持ちと。

主人公と二人旅をしているような映画だった。誰かの話ではなく、ほとんど一人称に近いような感覚で事の顛末を追うことができた。

人って、「普通」が多過ぎる。
人が死んだら泣かないとおかしい。
人が生まれたら喜ばないとおかしい。
だって、普通そうでしょ。

普通って割と思考停止なんだなと思った。
この映画の主人公のように、妻が亡くなっても泣けない人もいる。一人一人の物語があるから、そんなにおかしな事ではない。でも、それがおかしいと思ってしまうが故に、追い込まれてしまうこともある。お母さんが亡くなって、泣けなかった男の子はきっとそれを打ち明けるのに勇気が必要だったはずだ。

普通と、普通じゃない。その線引きがある前提の世の中だからこそ、この映画は成立する。人の子どもの面倒を見る主人公を見て、主人公は今変化しているんだなと思ってしまう。こちらがいい気分になっていると、池松壮亮がボソッと言う。「男にとって子育てって、免罪符じゃないですか」
なんて台詞だ。
主人公を見て微笑んでいた自分がまるで汚い人のような罪悪感を植え付けられる。怖い映画だ。人が幸せそうな姿を見て、勝手に幸せをもらうことを良しとしない。でも、だからこそ自分事として常に物語を追ってしまう。

『永い言い訳』って題名、とても好きだ。
人は、正常に生きていく為に、毎日毎日自分を納得させながら朝起きる。自分を甘やかすことに酔いしれて。
自分が勝手にけじめをつけて、何かを忘れられたとしても、人はまだ僕を許していないかもしれないのに。
骨折り損

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