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バービーのblacknessfallのレビュー・感想・評価

バービー(2023年製作の映画)
3.7
「きみはDavid Pajoを知ってるかい?」と、さも自分は熟知してますぜって雰囲気出してるが、おれが知ったのも先月なんだよ。今年はGWヒマなんでパンクスの友達に会おうと思い連絡したら、Pajoのライブ行きませんか?彼に誘われたんだよ、その時点で何者か知らないけど一緒に行くことにした。
で、彼からpajoはslintのメンバーだった言われて俄然行くのが楽しみになった。
slintと言えばポスト・ハードコア/スロウコア/サッドコアのオリジネイターであり極一部でカリスマ的なバンドなんだけど、90年代当時は日本では、いや本国でもあまり人気なかった笑 何せグランジのカウンター的な意識からグランジ以上に静謐でダウナーな音像を提示したわけだから。グランジにあったハードロック的なグルーヴやカタルシスを徹底排除し不協和音とクリアートーンの美しい音の響きに特化したギターサウンドは抜け感と浮遊感が強調され確かにグランジ以上にダウナーだった。ボーカルもシャウトとか一切ないし、slintなんてポエトリーリーディングにディストーション・ギターが乗るだけみたいな曲ばかりだった笑 圧倒的にオリジナルであったがハードコア以上に聴手を選ぶ音楽性なんだ。
ハードコア・パンクスは聴き手に忖度せず己の感性の具現化のために極端な手法に走れる性質なんで、極端なジャンル(グラインドコア やスラッジコア等)を切り開くことが多い。スロウコア/サッドコアもその1つだね、普通に人に聴かれたいとか売れたいと思ったらここまで静謐でダウナーな音は出せないから笑
そんなslint及びスロウコア/サッドコアのバンド郡が近年、MogwaiやSigur Ros等の音響系マス・ロックのルーツとして“発見”され再評価されてる。去年のJune of 44 今年のcodeine と立て続けにスロウコア/サッドコア2大スターが来日したのもその影響。どっちも当時を知る者としては来日したことが奇跡だし行こうかとに思ったけどスルーした。やっぱり静か過ぎて退屈なんだよ、それに世界観も癒やし系でハードコアを感じることができないから笑 でも、slintはサッドコア系では唯一ハマったバンドだしソロとは言えslintのエレメントは感じられると大いに期待してPajoのライブ行ったんだよ、昨日。
生涯で一番退屈でツラいライブだった、、ソロ編成とは言えエレキギターで往年の音響リフを聴かせてくれるのかと思いきや、エレアコギター一本でカントリーやブルースをslint時代のウィスパー・ボーカルで儚く歌うという最も苦手なスタイルを1時間聴き続けるのはなかなかに苦行だった。詰まらない映画を映画館で見続ける時と同質の虚無感に襲われた笑
お客さんも普段自分が行くライブと違って古着とハイブランドをかわいくおしゃれに組み合わせています的な人が多かった、ライトブルーや上品な花柄のシャツ着た男ばかりですげぇアウェイ感あったな笑
バンドTシャツ着て全身真っ黒なのおれと友達だけだったよ。黒がマイノリティなライブなんて初めてだよ笑 そしてパンクやハードコアの現場ではモブと言えるぐらい地味で普通めなおれと友達が圧倒的に輩オーラを放ってしまい悪目立ちしジロジロ見られたて居心地も悪かった。
いや、持って回った言い方は止めよう。トレンド好きのスノビッシュの連中と雰囲気だけに成り果てたミュージシャンのスリルのないパフォーマンス観て気分が悪くてしょうがねぇ、時間と金を無駄にした後悔の念が頭に張り付いてモヤモヤしてる🥴🥴🥴

まあ、だからモヤモヤをどこかに放出したいがためにバービーのレビュー書くのでそうとういい加減でおざなりになることをご理解してほしい。
書くつもりなかったんだよ。特に言いたいことがない。今の流れなら本作ではなくてもいずれ男性性の有害性、ジェンダーイメージに囚われた抑圧されてる女性の現実を告発する娯楽映画の傑作は作られたと思う。それが本作だったというだけで。
だから意味がないとかいうことではなく自分も女性をエンパワーメントし男性の病理を男性自身について考えさせる作品は最も作られるべきだという意見なんで。男こそこういう映画を観て真摯に自己を省みるべきだと思う。だけど、本作はあまり推す気にはならない。理由はいくつかある。

生産元であるマテルが全面協力でバービーがもたらした女性の生きづらさをかなりブラックでハイブローな演出でガンガン見せていくのはとても痛快。過去に廃版になったバービーまで出して、それをパロディにしてユーモアに変える演出は純粋にブラックユーモアが好きとしては楽しめたわけなんだけど、これって10年代ぐらいからディズニーもやってる手法で、会社の度量の広さと柔軟性をアピールすることができる企業イメージのアップにも繋がる。でも、よく考えるとマテルもディズニーも時代のせいにして反省はしてない。自ら当時の通俗道徳の負の側面にのり多くの苦しみを世に作り出したのに…それも全て利益のためにな。
要するに資本の論理でしかない。今はこっち側に寄った方が商売になると踏んでるだけなんであろう。あれよ、世界大戦当時、積極的に戦意高揚を叫び戦争に疑問を持つ人らを非国民と罵っておきながら敗戦後、過去を総括せずに平和主義を謳い出したヤツ(例:はだしのゲン鮫島伝次郎)と同じなんだよ。

男性の病理の強調するためケンを悪ノリなテンションでパロり茶化し倒すのは全面的に支持なんだけど、ハイクオリティな刹那いバラードでバカな歌詞を熱唱させる手法は『サウスパーク』のトレイ・パーカーの得意技で『チーム☆アメリカ』でアメリカの傲慢をその手法で茶化してる。ハッキリ言ってトレイ・パーカーが編み出したと言ってもいい手法を使いながら、その殺傷力が本家の足元にも及んでないのが残念だった。アンダーグラウンドで発明された過激な手法をメジャー志向のバンドが毒抜きしてクリアにした音でその先鋭性を拝借しながら核を失わせてしまうのと見た時と同じような不快感があった笑
この流れて言うと男に反省を促すて意味において非常に弱いと思った。男の有害性を甘く見すぎ。
男が自分の機嫌を取らずエゴ満たしてくれない女性や過ちや愚かさを指摘して自尊心を傷つける女性にやることと言ったらDVだろう。その描写がないのはガッカリだったね。ケン達にバービー達を殴らせるべきだったんだよ。
マンスプレイニングや求めてもいない手助けをして優位に立とうとするとかはしっかり描けたけど、あれぐらいじゃ苦笑して「やべー、おれもそんなとこあるわー😅」ちょっと気恥かしくなるぐらいで終ってしまうよ。現に「ルー・リードの先鋭性がWIREのポストパンクに影響を与えて~」とかロックでマンスプしてたケンを見て、まんま自分が言いそうなことなんでちょっと気まずかったけど、それだけだったからね。男が観た後に「なんてオデは卑小で傲慢で有害な生き物なんらぁ😵‍💫」て凹み過ぎて立ち眩みさせるぐらいにやるべきなんだよ。
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