ナガノヤスユ記

20センチュリー・ウーマンのナガノヤスユ記のレビュー・感想・評価

20センチュリー・ウーマン(2016年製作の映画)
4.6
隆々たるネットドラマ繁華の時代に、2時間の映画が生きるこの地平。ギー・ドゥボール風に言うなれば「時が過ぎ行くことに賭ける」べし。
別に79年の夏に特別何が起こったってわけじゃない。数十時間かけたら前後に幅もたせて全部映像化して、それなりの大河にだってできるだろう。でもそういう物語の硬直化を離れて投げる、一枚のパンク・フォトグラフが喚起する記憶の雄弁さよ。サッチモが、デビッド・バーンが、振舞う言葉の豊かさよ。
変わらないものはない、できないことは沢山ある、人と人は分かり合えない。ただし、瞬間の例外をのぞいて。
歴史と人生が記憶になり、その逆もまた然り、時間が戻らないことは僕たちの救いだな。

人が人を見つめるその眼ざしの交錯と移ろいが圧倒的に自由。この映画全体が映画というものの三稜鏡のよう。とりわけ母親の語りが目まぐるしい。それについて語るには、生前でも死後でもない、もうひとつの次元が必要かもしれない。
自分が経験してないこと、できないこと、たとえ僅かでも想像できる人間に生まれてよかった。

もちろん、劇中1番グッときたのは、エル・ファニングが実演してくれる恰好いい歩き煙草。この嫌煙ブームの現代に! 生きた記憶! 映画の亡霊!