蛇らい

レディ・バードの蛇らいのレビュー・感想・評価

レディ・バード(2017年製作の映画)
5.0
予告が公開されたとき、もうすでに泣きそうになっていた自分の先見の目に狂いはなかった。そして、今年観てきた作品の中の自分的No.1に堂々とおどりでた。

最初に、この作品の全体を通して言えることは、監督のビジョンに迷いがなく、太い筋が一本通っているということ。どんなジャンルの映画を作るかではなく、この映画に監督がどんな想いを込めたかったのかが伝わってくる。青春ものを作りたいだけが先行した映画はやはり空っぽで受け手の中に何も残らない映画になってしまう。そこに、作り手の哲学や考え方、自分はこんな人間だと示されたときに初めて受け手は熱を持って作品と向き合おうと試みる。それは人間関係の心のうちをさらけ出すという行為にも通ずる部分があると思う。監督のグレタ・ガーウィグはインタビューで、「本作内の出来事に実話はないけれど、故郷、幼少期、巣立ちに対する思いに繋がる核心部分は実話だ」と答えている。この映画に血の通ったリアリティを感じるのは、実際に経験したことを物語上でなぞったからではなく、虚構の中に偽りのない思想が散りばめられているからだ。

グレタ・ガーウィグとレディ・バードの共通点であるサクラメントという都会でもなければ田舎すぎるわけでもない中途半端な街出身であるということ。これが物語の中でも重要なポイントになってくる。作中でレディ・バードは、こんな街を早く出て都会の大学に行きたいと願う。街の外観を見た限り確かに大都会ではないが、ド田舎というわけでもない。そんなに生活のしづらい窮屈な街には見えない。それでも若者の誰もが都会を夢見るのは、自分がどんな人間なのか見つけたいからなんだと思う。自分のアイデンティティを見つけられずにいるのは、中途半端なこの街のせいだと思った経験は誰にでもあるはず。そしてまた、監督はインタビューで同じサクラメント出身の作家ジョーン・ディディオンが故郷を芸術的に描いた著書を読んで、故郷が重要なものになったと語っている。このふたつのエピソードが監督とレディ・バード、違う人物と言えど根底では深く繋がっていることが伺える。都会に出て気づいた故郷の魅力と同郷の作家が芸術的に描いた故郷の魅力。今まで見えなかったその土地の一面を大人になってから気づくという現象、言わば''あるある''を特別な色付けをすることなく、主人公に投影させ、ナチュラルに描ききった。

次にレディ・バードというキャラクターの魅力について。高校でイケてるとされる部類ではないものの、イケてないとも言い切れない中間のような場所にポジションをとっている。このポジションに身を構えるととても居心地が悪く、共通の友達を見つけることさえ容易ではない。そのくせ反骨精神を持ち合わせているため常に割りきれない心情でいる。自分を見失うことがしばしば。自己顕示のために理由のない嘘をつく。なぜ嘘をつくのかと訊かれても理由がないから答えられない。それが若さと相まって、いい具合に痛気持ちいい。
正直これ自分じゃん、って思ってしまった。たぶんそう思った人は少なからずいるんじゃないかな。

レディ・バードの周りの人々との関係性も手加減なし。
キーマン① :一人目の恋人
LGBTだとわかり距離を置くレディ・バード。その後バイト先に現れた彼は、誰にも言わないでいてほしいとレディ・バードに懇願する。それに対し、抱きしめるレディ・バード。泣いた。LGBTゆえの苦しみに同情したから抱きしめたのではなく、純粋に友達として突き放すことができなかったんだと一瞬で理解した。
キーマン②:親友のジェーン
一度は仲違いして離れるふたり。紆余曲折あり、自分が本当に大切な友は誰かと気付いてジェーンの家に行くシーン。泣いた。
キーマン③:母親
少し過保護に見えるように描写されている母親。でもそれは、娘を愛してやまないからだと言い切れる。レディ・バードも愛していてくれていると解っているからこそ、自分の可能性を信じてくれないのかと反発する。どちらにも感情移入できるように両者の言い分どちらにも納得でき、片寄らずに最後まで描ききっている。だからこそ最後の空港のシーンで大泣きできる。そこまで徹底していないと終盤のシーン全てがぼやけてしまう可能性もあった。

言わずもがなファッションもかわいかっった。制服の上に何気なく羽織っていた、少しよれたジャケット。大きめのパーカー。派手目なドレス。さりげない衣装のかわいいさにやられた。ママと古着屋に行くシーンも微笑ましくて好き。

都会の大学に行き、レディ・バードを名乗らなくなって両親に素直な気持ちを伝えられるようになったとき、自分のアイデンティティを見つけた彼女の顔は、それはそれは光輝いていた。変わった部分と変わらない部分、その両方が大切な事実として消えない。主人公が''成長''する物語ではなく、自分というものを見つけ出すために奮闘する様子が真摯に描かれている。過去の出来事、生活している街、周りの人々、そのひとつひとつが自分を形成しているということをとりこぼさずに詰め込められている。自分にとって映画とは何なのかを改めて考えさせられた。
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