映画漬廃人伊波興一

ゴダールの探偵の映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

ゴダールの探偵(1985年製作の映画)
4.5

公開から35年、齢(よわい)を超えた今、ついに解禁しました。

ジャン=リュック・ゴダール
『ゴダールの探偵』

映画を選ぶ際、世評などほとんど気にせぬ私ですが、ついつい及び腰になってしまった映画も数多(あまた)あります。
『ゴダールの探偵』もさしずめそんな一本。

そんな映画の中には(公開当時に観ておけば良かった)と思わせてくれる作品も実は結構少なくはないのですが、この『ゴダールの探偵』だけは齢(よわい)を超えた今、初めて接して本当に良かったと思う。

18、9のガキの頃に観てたら、この落ち着きない気随気ままに飛び交う原子核の粒子のような(群れ渦)に巻き込まれ収拾がつかなくなっていたに違いないからです。

パリの一流ホテル、コンコルド・サン・ラザールに集約されたこの宇宙。

どこからともなくやって来ては、どこからともなく去っていきそうな、およそとどまる事を知らぬこの粒子たちの動きは、一見騒然としているだけのようで実は光と闇の配分が絶妙に、整然と組成されています。

パリの眺望がききすぎる部屋から2年にもわたって張り込みを続けている探偵ローラン・テルズィエフ、現職刑事ジャン=ピエール・レオとその恋人オーレル・ドアザンや、孫娘の手を引きながら階段を上がるマフィアのボス、アラン・キュニー。
またホテルロビーでは、誰がどう見ても不釣り合いな美貌の女実業家のナタリー・バイと冴えないパイロットの夫クロード・プラッスール。
ボクサーのステファン・フェラーラからそのプロモーターのジョニー・アリディに至るまで。
そんな賑やかな粒子の顔ぶれは、停止したかに思える瞬間があってものべつ動いている。
動く事こそが本質で、課せられた使命であるかのように。

419号室の9が何かの拍子で右180度に落ちて6に変わった途端、その動きに変化がもたらされます。

変化は周知の通り負債者と資産家として追うものと追われるものとの明暗をくっきり際立たせます。

ところが、時にはそんな明暗が互いに申し合わせたかのように手を取り合って回転する。いわゆるグランドホテルスタイルお約束の不貞の恋仲が生じる次第。

回転は幸福と不幸を結びつけます。こんな時に泣きを見る者は必ず現れます。
そこに八百長試合の算段やマフィアの追い込みなどが多重に重なれば悲劇と喜劇を同一平面上に並べてほくそ笑むしかありません。
事の顛末などと言えるものは一切ないのですから。

したがって何かを得る事を望むのはとても愚かしい。何かを失う事を嘆き悲しむのももっと愚かしい。というゴダールの声に、今の私なら真剣に耳を傾けられる気がするのです。

ゴダールが何故、本作をカサヴェテスとイーストウッドに捧げたのかを詮索する以前に、この粒子の飛び交いを愉しめるようになったのは老化ではなく、若返りである、と今では心底感じるのです。