Torichock

シング・ストリート 未来へのうたのTorichockのレビュー・感想・評価

4.7
「Sing Street/シング・ストリート」

Have you ever seen like a magic??
Have you ever seen Magic of music??

By the way,I have it.

http://m.youtube.com/watch?v=sduYNx92_go
(A step you can't take me back)

Already I've lost what believe Magic of music almost before watching 「Begin Again」
But When I watched this scene,The Magic got back in my body,Beat by it.
The magic is like when the arises melody in my head after sadness.

I felt resurrection and infinity surely.

「はじまりのうた」で僕は、はじめて映画の中で起きる魔法が、この世界に実現しうる魔法のように感じることができた。
音楽との偶然の出会い、そしてその出会いが鮮やかに彩どりを帯びていくシーン。
"A Step You Can't Take Me Back"

音楽の道を諦めて、音楽の力を少しずつ信じれなくなっていた僕には、あのシーンは、音楽が持つ説明不可能で問答無用な魔力が、音楽の喜びただそれだけで、僕の心を躍らせた。
今でも鍵盤が動き出し、ドラムがリズムを刻み始めるところを思い出すだけで、嬉しくなる。
あれから一年以上の時間経って、僕にとっての音楽の意味はまた変わり始めていた。
洗練された美しさや意味、強さや儚さを求めるような、そんな感覚に。

だから、ジョン・カーニーの作品とはいえ、好きになってしまった女の子のためにバンドを組んで音楽を作るって話に、どこまで乗れるのかが不安でもあった。
「はじまりのうた」で、音楽の喜びや美しさ、意味や強さと儚さを完璧に描き切ってしまった後、その洗練さのあとに何を感じればいいのか?が分からなかったから。
楽しければいいや!と、素直にそれだけを期待して観に行った。


ぶっ飛ばされました。


音楽には、もっと大切なことがあった。

それは、初めて音楽に触れた衝撃や、音楽が"生まれる"喜びや音楽を"ぶつける"快感、そして音楽を"信じて突き進む"純粋さと、瑞々しさと青クサさだった。

(フィルモグラフィーで言ったら、「はじまりのうた」の方が後に来てもいいくらい、瑞々しく感じるところもあった。サム・ライミが、「スパイダーマン」のあとに「スペル」をやった感覚)

嬉しくて仕方なかった。
コナーが仲間を見つけ、楽器を持ち、MVや兄にバリバリに影響されながら、変化していく姿を見ているのが嬉しくて嬉しくて仕方なかった。

そして、またもや僕は魔法を目にする。

Sing Street オリジナル2曲目、"Up"の誕生するシーン。
あまりの嬉しさに涙が溢れまくってしまった。
夜な夜なコナーがアコギでヴァースを弾き語り、そこにエイモンのピアノが加わってブリッジし、部屋をぐるっと回ると、昼間に変わっていて、ンギグのキーボードとギャリーとラリーのリズム隊が加わわってコーラスになる。

こんなパーフェクトで青臭くて、瑞々しくて愛おしい魔法がまた見れるなんて。


でも、ここまで僕が書いてきたのは実は、この映画の音楽について触れてきた事柄。
僕は、この映画には特別な特別なテーマが隠されていると思っている。
それは、僕が魔法!と呼ぶこのシーンにもちゃんと写ってる。

それを象徴するのが、シングストリートのメンバーが"Up"をかき鳴らし、マネージャー兼PAのダーレンがリズムに体を揺らすところにやってくる、エイモンのママ。
突然フレームインしてきて、踊りだすのだ。

僕はこれをコメディ的に感じていたし、それは間違い無いのだけれど、実はそれだけじゃ無いんだと思えてきた。
出来立ての"Up"のデモテープを、ラフィーナの元に届けるコナー。

多分、これは、

"繋ぐ"ことで生まれる"情熱の伝染"

なんだと僕は思った。


僕は去年、2015年の映画は、僕にとっての
"つなぐ"ことがテーマだと考えてました。
今年はいったいどんなだろう?と思っていたけど、この映画を見て確信した。
年々に限らず、僕が映画に求めるテーマが

"つなぐ"

それ自体なんだいうことを。
「ちはやふる」のかるたへの情熱が、あらたからちはやへ、ちはやから瑞沢のみんなへ伝染し、それぞれが自分のかるたを見つけていくように、そう繋がっていくそれであったように、この作品もまた、音楽への愛・敬意・情熱が伝染し、それぞれがそれぞれの未来へ繋がっていくことだったんだと。

それに気づいた時、僕にとってこの映画の話は、コナーの話ではなくなっていた。

コナーが、音楽への愛・敬意・情熱を伝染されて、そのコナーの情熱が他の人へ伝染させたとしたならば、この話はコナーの兄・ブレンダンのものだったんだと思った。

"フィル・コリンズなんか聴く奴を好きになる女なんていない"
とか、クリス・プラッドに似てるし、最高にカッコいい兄貴なんだけど、ブレンダンは、閉じ込められ閉塞的なこの街から抜け出すことができなかった人。

家出なら何度だってできたはずだ、クソッタレな家の状況を投げ捨てて、今すぐにだってこの街から脱出するチャンスはいくらでもあったはずだ。
だけど、ブレンダンは出来なかったし、出来なかったのを事情のせいにしていた。
もちろん、自分ができなかっただけのことを分かってるからこそ、苦しいんだけども。さ
きっと、今も"いまさら..."と、玄関から空を見上げて大麻を吸ってるかもしれない。

ブレンダンはコナーに言った。

"Rock'n Roll is a risk.You risk being rediculed."

自分にはできなかった、選べなかった、アクセルを踏み込めなかった道を、愛する弟に託したのだ。
その為に、彼がロックンロールから学んだことを、コナーに伝えたんだ。



叶わなかったのは、自分の責任。
でも、ちゃんと伝わってるよ兄貴。
叶わなかった夢への責任が、ロックンロールの情熱を通して、しっかりと伝わってるよ。

ロックンロールからブレンダンへ
ブレンダンからコナーへ
コナーからメンバーへ
そしてコナーの情熱からラフィーナへ
ラフィーナの夢とコナーの夢が未来へ

そして二人の未来が
ブレンダンの叶わなかった夢の向こう側へ

つながれ、つながれ、つながれ!!!!



二人を見送るブレンダンのガッツポーズを観た時、フラッシュバックした。

太一が、ちはやの札を取りに行く姿。
アドニスが、ダウンから立ち上がる姿。
拳を前に突き出す、杉原の姿。

"瑞沢一勝!"
"Gonna Fly Now"
"円の外には手強いヤツがいっぱいいる。ぶち破れ、そんなもん"


今も今でも、ブレンダンの声が頭を駆け巡る。


"アクセルを思い切り踏め"

ありがとう、ブレンダン。

国も時代も違うし、僕は映画の外の人間だけど、ちゃんと伝わってるよ。

You're never gonna go if you don't go now
You're never gonna know if you don't find out
You're never turning back, never turning around
You're never gonna go if you don't go

もう一度書かせてください。
そして、兄貴の想いが多くの人に伝染すればいい。


"Rock'n Roll is a risk.You risk being ridculed"


この作品に出会えた喜びとその想いを、ロックンロールや映画を愛し、まだ見ぬ明日を生きる
すべての兄弟に捧げます
Torichock

Torichock