タマル

ある戦慄のタマルのレビュー・感想・評価

ある戦慄(1967年製作の映画)
5.0
''Where are you buddy?”
以下、レビュー。

原題はThe incident。
incidentは日本語で「小事件」という意味。
『ある不快な出来事』ぐらいに訳すのがいいと思います。

深夜2時。舞台はニューヨークの地下鉄。
車両には、老夫婦、ゲイ、アル中、軍人といった異なる属性の人々が座っている。彼らは本来交わるはずのない存在である。車内には身内同士のポツポツとした会話が聞かれるのみであった。
しかしジョーとアーティという二人組の搭乗により、車両内の平安は一気に破壊される。彼らはついさっき老人を半殺しにしたばかりのゴロツキであった。二人は時には脅し、時には誘導しながら、乗客たちの「理性」、「モラル」を破壊してゆく。剥き出しになった乗客たちの本性がぶつかり合い、列車は異様な雰囲気に包まれながら、どこまでもどこまでも走る。
1967年、アメリカンニューシネマの初期を代表する傑作スリラーです。

さて、この映画では、密閉空間に閉じ込められた乗客達が理不尽な暴力の洗礼に晒されます。
それ繋がりで印象的だった昔の出来事を思い出したので、書いておきます。

私がいた中学では、けっこう酷いいじめがありました。
そのいじめというのも、イジリとかそういうレベルではなく、社会から見れば暴行罪を免れないような劣悪な暴力でした。
そのいじめをしているリーダーはそこそこの顔の不良だったのですが、その不良はなぜか女子から人気がありました。

その内の一人から理由を聞いたところ、

「みんなに優しいから」
「気配りができるから」
「いつでも親切だから」

とのことでした。
私は話を聞きながら、あぁいじめられている彼はもう同じ「人間」だと認識されていないのだな、と子供の残酷さに戦慄していました。

というようなことを、前述した通り映画を観て思い出したわけです。

なぜ、こんな大事なことを忘れていたのでしょうか?
この出来事が私の「人間観」の根底となっていたはずなのに。
とどのつまり、私も今作の乗客達と同じく無関心を装いたかったからでしょうか。

もしそうならば、私もまたこの思い出をなくすでしょう。何度でもなくし続けるでしょう。
しかし、この映画はその不快さとともに記憶を取り戻す手伝いをしてくれるはずです。

救わなかった全ての人が観るべき重要な一本。オススメです!
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