けんぼー

透明人間のけんぼーのレビュー・感想・評価

透明人間(2019年製作の映画)
3.7
2020年鑑賞145本目。
リーワネルによる現代解釈版透明人間。まあまあ意外なラストの展開。エリザベス・モスの迫力の顔芸。

地元新潟でもやっと公開されましたよ。前評判も高めだったので早く見たかった作品。
まず、透明人間になる方法が今までの透明人間作品と違っていたのが斬新だった。僕の中で最近の透明人間作品で思い浮かぶのが「インビジブル(2000)」。それ以前の透明人間作品でも同じかもしれないが、インビジブルではその人自身の体が透明になる。よって、透明になった人は基本的には裸でうろつき回る。本作ではその透明になる方法が異なっており、それが物語後半で活きてくる。
透明人間は本作のようにホラーで描かれることもあれば、ヒーローとして描かれることもある。しかし、個人的にはやはり透明人間という題材はホラーでこそ活きると思った。
改めて透明人間ホラーとその他のホラーとの違いを考えてみた。
まずは「13日の金曜日」のジェイソンなどの殺人鬼系、モンスター系との違いはやはり「見えない」という点。見えないから、そこにいるかどうかもわからない。でも気配がする、ような気がする。見えないことによって疑心暗鬼になりやすく、「自分」と「外の世界に存在する何か」という対立が、いつの間にか「自分」と「自分」という対立になる時もある。ましてや自分以外の他の人が透明人間の存在を認めてくれず、自分のことを変な目で見るようになると尚更、自分が自分自身のことを疑ってしまう。本当は透明人間なんていないのかもしれない、と。
そして幽霊系ホラーとの違いは、ほぼ確実に「存在している」という怖さだと思う。幽霊は物質としての存在の確実性が低い。「見えた」としても、「物体」としてそこに存在しているかというとわからない、と一般的には捉えられているのではないだろうか。だから見えても、そこに「いる」とも「いない」ともいえるのである。しかし透明人間の場合、あくまで「人間」なので、確実にそこに「いる」のである。
見えないけど確実にいることが怖い。それが透明人間の持つ怖さであり、故にホラー向きなテーマなのだと思った。
本作はその、「気配」を映像で巧みに表現出来ている。直接的な表現もあるが、ただ部屋の中を映しているだけなのにそこに「いそう」なのである。
そして自分を狙う見えない存在に怯え、段々とヒステリックになっていくエリザベス・モスの演技はさすが。表情での表現が豊かで、良い意味ですごい顔芸だった。
ラストの展開は今作の透明人間設定を活かしたものとなっており、意外だった。
透明人間ってだけでエロシーンを期待してしまった自分を許してください。

2020/9/22鑑賞