横須賀アット

T2 トレインスポッティングの横須賀アットのレビュー・感想・評価

T2 トレインスポッティング(2017年製作の映画)
5.0
あの、ろくでもない奴等がT2トレインスポッティングとして帰ってきた!

正直、この作品に続編と言う言葉は使いたくない。
私は、同窓会作品とあえて言いたい。

1996年に公開された伝説的青春映画トレインスポッティング。四人のジャンキー達が織り成す、明るく悲惨な青春像はとても斬新な作品であり、ポップカルチャーの代名詞となった一作目。それから20年という月日を経て役者陣も同様カムバック!

案の定、20年経ってもろくでなし。確実に年を取った姿を目にした時、「歳取ったな」と思いつつも素直に「久しぶり」と声をかけたくなってしまう腐れ縁な感じを私自身も感じてしまう。
歳をとったメイクや演技ならいくらだって出来る。けれど、役者陣の演技は人生経験という厚みを経てのリアルなのである。


選択しろ!

前作にも登場する象徴的言葉である。

前作でマークは友人を裏切り、過去を切り捨てる事を選択した。
前に進むには覚悟をしなければならない現実が存在する。

では、今作は?

作中に、スパッドが自伝を書き上げる。
それは一作目から現在までの自分達の話である。
マークも20年という月日を経て友人達の元を訪れる。
切り捨てた物を取り戻し、一歩づつでいいから新しい前を向く。自伝という自分達の過去を見つめ直し、前に進む。

一作目はやはり若かった。若気のいたりである。

T2トレインスポッティングは切り捨てた者や切り捨てられた者達が『切り捨てた物(者)』を受け入れ、真の意味で大人になる物語だ。

私自身はろくでもない友人はいませんが、トレインスポッティングに出てくる人物達は愛すべきバカ野郎としてなんだか憎めません。

久しぶりに同窓会みたいな感じで愛すべきバカ野郎どもに会って見ませんか?

余談
トレインスポッティングのタイトルの意味。
作中では別の言葉が出てきます。
また、他にも踊らずにDJブースの前で、DJがどんなレコードをかけているのかをチェックしている人をトレイン・スポッター(オタクのダサい奴)と言うらしいです。

この言葉を聞いたときに、とある1シーンを思い返した。
唯一私が理解できない己の感情で動く人物の闇、内なる自身を垣間見た思いです。