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さや侍のワシのネタバレレビュー・内容・結末

さや侍(2011年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

【前書き】
松本人志の映画作品を観る。
3作目の今回は2011年公開の『さや侍』。

この作品も未見だし、内容についてろくに知らない。
見聞きした情報も曖昧な認識で、竹原ピストルが主演かと思ってたら、全然知らないオッサン出てきて驚いてしまった。

【あらすじ】
舞台は江戸時代で、刀を捨てて腰に“さや”をつけた変わり者の侍・野見勘十郎が主人公。
脱藩の罪で追われていた彼は、遂に捕らえられてしまう。
ところが勘十郎に下った裁きは「30日以内に若君を笑わせたら無罪放免、できなければ切腹」という難題だった。
果たして彼は、若君を笑わせて無罪放免となることができるのだろうか?

【雑感】
松本ワールドを大胆に展開した『しんぼる』は、あまりにも個性が強すぎて大失敗してしまった。
その反省からか、本作ではシチュエーションコント風な形式を取っている。
形式だけで言えば『大日本人』と同様の構造であり、松本人志にとってはテレビ番組などで経験も実績も豊富な、得意な表現スタイルだと言えそう。

多くの設定や世界観を時代劇に依存しながら、その中で独自のセンスを活かそうと試みてる。
その一方で、黒澤明監督作品を匂わす表現も有ったりするので、過去の時代劇作品から影響を受け、それらを意識した部分も少なくないのかも?

これまでの作品のような、独自のセンスや世界観への固執が少ないため、極端な難解さは感じられない。
また松本人志は結婚や娘の誕生などがあり、それらの影響からか、物語には親子の情愛という普遍的なテーマが取り入れられている。

さらに作中にはツッコミ的な役割や、話の流れを促す役割の人物も登場し、理解しやすく広がりのある物語になっている。
話の筋道も明確なので、展開に流れが生まれていて、過去作に比べるとかなり見やすい印象を受ける。

でも、やはり映画作りが上手いとは言えないレベルなので、どうしても唐突に感じる部分や、話の薄っぺらさが気になってしまう。
テレビのコントなら状況や人物に関する説明は、設定として理解する程度で構わないだろうが、やはり映画となるともう少ししっかりした描き込みや厚みが欲しいところだ。

そんな風に、出来が良くない作品ではあるけれど、終盤の僧侶が歌で思いを伝えるシーンは、ワシはちょっと気持ちが動かされたし、表現として面白いなと思った。
興行として成功とは言えない結果だったにしろ、作品制作を重ねるごとに、そのクオリティが向上してる事は確かだ。
少なくとも前作『しんぼる』のようにイライラさせられたり、『大日本人』のように置いてけぼりの感覚を覚えたりすることはなかった。

何だかんだ書いたけど、観終わった直後の率直な感想は、作品としても、そしてコントとしても、やっぱり面白くなかったなぁ。
もちろんこれは無責任な観客としての意見で、笑いのプロが観たら感じ方や意見は大きく異なるかも知れないけど、少なくともワシは面白いと思えなかった。
どこかの何かで見たことあるネタや芸の羅列は、どうしても笑えるだけのインパクトが薄くないかい?

主演の方は一般人らしいが、松本人志の番組などに出演経験があり、ある程度は人々の耳目を惹く知名度があったのかも知れない。
しかしながら、ワシ自身はこの人のことを一切知らなかったので、何でこの人をキャスティングしたんだろう?という、素朴な疑問がわいた。

この文章を書くにあたり検索して見つけた、Movie Walkerによる『さや侍』の記事内で、松本人志は主人公のキャスティングについて、ボケとして次のように発言してる。
「ギャラ無しで済むし、完全な素人なので、うまくいかなかった時、あいつのせいだと言うことが出来る」

この発言って、たとえ他意の無い、その場限りの冗談やボケだったとしても、決して言っちゃダメなんじゃないの?
少なくとも、ワシはいい気分はしなかったし、言うべきじゃなかったと思った。
今回はこんな感じでした。

【後書き】
この作品の笑いどころとも言える「30日の業」って、一体何だったんだろ?
当初は、単に面白ネタや芸の羅列に見えるが、やがてそこにリズムやノリのようなものが生まれてくる。
次第に「なんだか面白そうになってきたぞ」と期待は高まるが、どうもキレが悪くて笑うまでには至らないんだよなぁ…。

もうね、コレってもしかしたら、主人公のやってるネタや芸で笑わせようなんて、ハナから思ってないんじゃね?とすら思う。
いっそのこと「主人公で笑わせようとしてない」どころか、「主人公で笑っちゃいけない」くらいに考えると、この形ってどこかで観たような気がしてきた。
この「30日の業」の笑いの形って、あの年末にやってる「笑ってはいけないシリーズ」っぽくないかい?

命がけで笑わそうとする侍、そして絶対に笑わない若君を対峙させ、その状況に伊武雅刀が発する「切腹を申し付ける!」が、ツッコミみたいな効果を生む。
そこへすかさず太鼓がドドン!と鳴り、「残り◯◯日!」と告げられる。
この太鼓と「残り◯日」の部分が、「デデェーン!」「松本、アウトー!」の感じに似てる気がしたんだけど…ワシの気のせい?

またそれとは別に、ちょっと捻くれた見方をしてみよう。
侍はプライドもかなぐり捨てて、相手を笑わせようと必死になってるが、笑わせたい相手はクスリともせず無反応なままだ。
しかし他方では侍を面白がる街の人々が観客となり、その数はどんどん増えていく。

そんな様子には、テレビの世界では相変わらず大人気の松本人志が、どうも映画の世界では上手くいかなくて苦戦を強いられてる。
そんな状況が重ねられていたんじゃないだろうか?

もっと違う側面から考えてみると、松本人志が自身の娘に寄せる思いが、作中に投影されてたのかも知れない。
笑いのカリスマであり求道者である松本人志が、我が身を削る思いで笑いを突き詰めようとしてる。
その様子を見た娘は、当初は父に「死ね!」と迫るが、笑いに命をかけてる父の姿を見てるうちに、次第に父を認め始める。
そんな松本人志の密かな願望が投影された物語、なんて解釈も可能じゃないだろうか?

もしもこの作品に、父親・松本人志の娘への思いが込められていたとしたら、あの雲の上の存在である松本人志が、ちょっと身近な人物に感じられないだろうか?(すごく一方的だけど笑)
そんなろくに根拠も無い勝手な想像を書いてたら、この作品がちょっと可愛げがあるものに思えてきた笑

【余談】
冒頭部分で、斬られても頭を撃たれても死なないのは何でなん?
まさか薬草の効果とか言わないよね?
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