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マンチェスター・バイ・ザ・シーのはのレビュー・感想・評価

3.5
対話場面において必要なことは言語的処理を介したコミュニケーションだけではないし、非言語的コミュニケーションだけでもない
そのどちらもが十分に執り行われなければ訴えたい内容は互いに理解し難いものになるんだと思う
言語に変換された、知的な側面で行われるコミュニケーションは当然なくてはならないんだろうけど、誤解のないように語り尽くすにはあまりにも時間が足りないように思える
その結果寡黙で口下手な人間が誕生してしまうわけですけど、それが悪いわけでもないんでしょうね
互いにその時点で表出できる感情やらなんやらを少しずつ出し続けて、認知の擦り合わせが徐々に行われていった先でやっとコミュニケーションがコミュニケーションたりうるうのかなと思う
叔父の苦悩の全貌なんて誰もわからないし、それが当然なんだけど、自責の念が誰もが感じ取れてしまうのだと思う
不憫な男に対して、辛辣な扱いをしなければいけないことに当人たちも内心のどこかで気付いていて、だからこそ叔父に対して直接心情を吐露したり、陰で言うことで整理をつけようとするのだろう
言語処理を介して吐露をしなくとも、叔父は自らが可能な範囲で利他的になることで懺悔をしていたのだと思う
自らが罪だと感じていても法が罰することもなく、死のうと思って実行したところでそれは償いにはならない
生きるも死ぬも地獄な状況で、ただ生きなければならないことを想像すると辛い
利他的に生きようとしたところで、自らにそうする能力がないことが分かってしまうことも辛い
でもまあやらないよりはやった方がいいから、全てを引き受けることはしないで自分が出来る範囲で貢献しようとするのがすごくいいですよね
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