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ラビッツ・ムーンのTnTのネタバレレビュー・内容・結末

ラビッツ・ムーン(1950年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

 またもやドリーミーで、よりファンタジック!「月世界旅行」的な幻想世界と、「天井桟敷の人々」のあの道化のような人物という、映画への愛も垣間見える今作品は、月や幻燈という投射する/されるという映画の構造にも及んでいる。あとは今作品1950年に制作されたが公開されたのがまず1972年と、その後ショートバージョンとしての1979年版があり、ややこしい。しかし、このブラッシュアップを通してアンガーが何を求め何を捨てたのかがわかる。

 1972年版
 月にグングンとアップになるショットがなんども繰り返す(儀式的)。やや冗長になりつつも、その後の下りは叙情的で切ない。主人公のピエロの純な姿と、その前に現れてからかうハーレイクイン。ハーレイクインが見せるパントマイムは、手をパチンと鳴らして消えるように、幻燈から現れたコロンビーナという女性をひけらかしてはともに消えていく。悲嘆に暮れたピエロが、まさかの身投げして幕は閉じる。彼はそれとも、うさぎに感化されて月まで高く飛ぼうとして着地できなかったのだろうか。ピエロがコロンビーナに差し出す空っぽの手に乗せられた愛情を彼女は理解できないという悲しみにグッとくる。ところどころインサートされる赤い画面がカルト臭を増させている。音楽はオールディーズからケチャまでと多様で面白い。

 1979年版
 こちらは月が実写になり、尺も物語も変更されており早回しで、画面も左右が変えられ、音楽も違う(素材は同じものだが)。動きが早かったりしてやや戯画化し道化っぽさは増して、ライトな作品となっていた。1972年版の叙情性は逆に無くなっていた。最後はカットを畳み掛け、身投げするシーンはバッサリ省いている。PV的、A raincortのIt Came In The Nightという曲も強いし。いい音楽だが、2回目の反復を耳にして、相変わらずの音楽への無頓着さが出ているなと感じた笑。

 ほぼ同じ素材で、こうも印象が変わるという。映像の接続可能性のデカさを感じ、また編集や音の強大さを感じた。またショート版への移行で捨て去った叙情性、何故捨てたのかに考察の余地ありだと感じた。大島渚が「我が封殺せしリリシズム」という著書を出していたが、そんな風にある自己の叙情性への区切りなのだろうか。身投げするような若気の至りは、すでに自身にとっては恥ずかしいものであったのだろうか。
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