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主人の館と奴隷小屋のニューランドのレビュー・感想・評価

主人の館と奴隷小屋(2001年製作の映画)
3.0
この作家の前に特集上映があったのは、10年近く前か、土煙からのネオレアリズモ的『乾いた人生』・壮大な構築と骨格『監獄の記憶』等を除けば確かな手応えが残ってない(調べれば、感動したのがあったかも知れぬが)。前後してというか、’70年代から観てるローシャのインパクトがあまりに大きいのかもしれない。TV用の本作は、敢えて観なかった。休みが増え、ブラブラしていたが、急に観る気に(しかし、今回の目玉『~フランス人』は仕事とカブッて観れない)。観客は少なく、片隅であっても映画史に記された作品は全て観るというお二人位しか、知った顔もなし。
確かに盛り上がらない、しかし、静謐極まりない積み重ねの持つ説得力は、最近観た『アイリッシュマン』とも共通している。何故か、おそろしく端正な落ち着き払ったTVとも思えぬスタイル。著名な作家・文化人の、人生と著作の内容を、故人をよく知っている友人と、若いいろんな血筋の女性が相手役として入れ替わって、紹介・掘り下げてく。オーディションを経ての旧社会再現劇に採用された各種人種の若者たちの演技の感想なども入る。
留学・記者活動等を通じ、国際性に目覚め、他国に比べ自国の強い基盤の欠如に気づき、帰国後、著作・文化活動の本格開始。その代表的著作によると、そもそも、ポルトガル自体が、対ローマ・ムーア人の抗争の歴史を通じ、支配・文化・宗教・人種、全てに単一性・優劣線引きを欠き、混血・融合・非分化の国。ブラジル進出・支配も、同じようにインディオ・黒人にある面、決定権を委ねて来たという。軍事・強権よりも、少ない人数で血筋からも、淡く染めてゆく方法でもある。また、あらゆる形の(本意でなくとも)尊厳の認めあい(とくに白人にとっての奴隷黒人との軋轢大も、逆に全体の突出力としても)が、共存してる特異で独自の文化で、その全体像は当人たちも掴めていないお国柄での侭ある。性的な嗜好すら人種を跨ぐものへ向かうように。歴史の担い手の追跡よりも、日常の細部から、先祖と現在を重ね合わせられるの言葉どおり、作品に関わるいろんな人たちが、自分の外形・姿から意識のあり方までルーツをたどってゆく。
緩いのか壮大なのか、学術的なのか民話・主観的なのか、判別しないような不思議な、こじつけと公平を行き来してるような世界である。特に、本格的にもみえる劇中劇は、本作中だけの構成パートであるには余りに勿体ないと、思ったりする。本来、そこから表現・問いかけが始まるのではないかと思える。何かそういった作品が存在するのか。
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