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ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリーのdojiのレビュー・感想・評価

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ハン・ソロのものがたり、として観るよりも、これは"solo"であることについての映画なんじゃないかなと思いはじめた途端、この映画が好きになった。

帝国軍をリクルートするなんでもない存在によって"独りであること"を名前として背負うことになるハンは、おどろくほどそのことに対して無関心だ。じぶんは悪いやつで、アウトローであり、運を味方につけていると思っている。実際のところはまったくそんなことはなく、ことごとく彼の無力さは露呈されていく。それでも彼は笑い、はったりをかます。

それに対してほとんどすべての登場人物は独りであること、"solo"であることに囚われた存在として描かれている。搾取され、明日をも知れぬ生活を強いられて、差別と暴力にさらされている。帝国が銀河を覆おうとしているその時代は、夜の闇も深く、画面は薄汚れ、ひとびとは下を向いている。その黒を、カメラはありのまま捉えていく。

登場人物たちはだれひとりとして信じていない、と口にしながらも、よりかかれるだれかを探している。それはじぶんの身の安全を保証するものなのかもしれないし、明日には死を迎えるかもしれない日々をすこしでもあたたかく過ごすことができる仲間なのかもしれない。もしくは屈辱にまみれた生活に一縷の望みをたくすまだ見ぬだれかであり、未来なのかもしれない。じぶんは"solo"であり、そのことに受け入れてるからこそ生き残ってきたと口にしたとしても、彼や彼女たちはどこかそこに望みを捨てきれず、最後には裏切られてあっけなく死んでいく。

そんな中、ハンだけは絶望にとらわれることはない。敵に追われ、命を狙われながらも、へらへらとしている。まるでからっぽで、軽薄な存在だ。けれど、登場人物たちはきっと彼のようになりたいと思っているはずだ。むしろ、彼よりもはるかに"solo"を名乗るに相応しいとすら思っている。けれどそれはどれも間違いで、みなそれぞれ生の舞台から退いていく。

ハンは"solo"であることの理想を描いた、ある意味で完全なるフィクションなのだと思う。リベリオンがいまにも拳を上げようとしている時、"solo"であることから、連帯を目指すひとびとが希望を見ようとしたとき、ハンはまたあっけなくミレニアム・ファルコンに乗ってどこかへ行ってしまう。彼はきっと"新しい希望"の火を灯すための、ちょっとしたトリガーだったんだと思う。

観終わってから、死んでいったものたちの顔ばかり思い出している。ぼくらの多くは、きっと"solo"とは名乗れることができないくらい、本当に弱い存在なのだと思う。エンフィス・ネストたちがマスクをとったときの表情にこそ、ぼくらがこの映画から受け取るべきものがある気がした。
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