このレビューはネタバレを含みます
國村隼サイコーです。
好みだけで言えば観客に解釈を委ねるタイプの作品は苦手だし、観賞後にあれこれ考えて欲しいなんてのは、正直図々しいとさえ思う。結末決めかねて投げ出しただけなのでは──などと邪推するぐらいには、そういう構成の映画が好きじゃない。
ただ、こちらのそんなちっさい好みの問題を突き抜ける作品があって、この『哭声』はまさにそんな映画だった。これも結局のところは好みに還元される話なのだけど、物語を構成する要素の中でもかなり比重の高い結末部分が好みでないのに、そこに至るまでの過剰な要素で、「まあいいか、面白えし」ってなってしまう感じ。
勿論、綺麗に閉じてくれるに越したことはないのだけれど、たまにならこういう感じでも楽しい。
この映画は結末がふわっとしているので、結局のところなんだったのか判らないのだけど、惨殺死体の出てくる猟奇事件から幕を開ける。事前情報として國村隼がなんかすげーっていうことしか知らなかったので、サスペンス的な話なのかなと思っていると、次第にオカルト要素が濃くなっていく。
臆病な警察官の主人公の周りでおかしなことが続くのだけど、最初のうちは現実的なキノコの幻覚作用の疑いがあったりしているのが、國村隼が裸で生肉をむしゃむしゃしている辺りから転げ落ちるようにオカルト世界へ突入する。娘が狐憑きのような状態になると、祈祷師が登場。
ここから連なる除霊シーンが素晴らしい出来栄え!
少しばかりチャラい感じの祈祷師には胡散臭さしか感じないのだけど、音楽と舞いの迫力に圧倒される。同時に山中でも呪詛返しなのか國村隼(悪霊疑惑)も怪しげな祈祷中。両者譲らぬ霊力勝負でとてつもない緊張感。万歳。
ところが気の弱いお父ちゃんは、娘(憑物の方?)が苦しむあまり、祈祷師を制止してしまう。完全にテンパった彼は仲間の警官を引き連れて國村隼に実力行使。だけど強いぞ國村隼! この流れの暴力的な魅力は凄まじい。
で、このあとがなんだかよく解らなくなってしまう。実は國村隼が悪者じゃなかったとか、途中でやめたから除霊は失敗(これはまあいい)したとか、途中で出てきた目撃者の女性が悪霊の本体とか、不自然に配されたキリスト教のポジションとか……すべてが有耶無耶で胡乱な状態。
そのまま幕引きするし、全然すっきりしない幕切れ。
誰もがそう感じるとは思わないし、数多く散りばめられた暗喩からすれば、監督の中には事実関係はあるのだろうし、物識りさんの解説を聞けばその辺りもある程度すっきりするのかもしれないが、この映画はこれでいいような感じがする。
解らないけど面白かった!
蛇足:YouTubeで見られるもうひとつのラストシーン的な動画も見たけど、さらにモヤモヤしてしまった。あれだと祈祷シーンの意味すら解らなくなる。