夏藤涼太

浮雲の夏藤涼太のレビュー・感想・評価

浮雲(1955年製作の映画)
4.4
NHKBSPにて。
日本映画史上に残る名画の一つとして有名なのは知りつつも、成瀬巳喜男作品は本作を含めてこれまで見たことがなかったのだが……めちゃくちゃ面白かった。

いわゆる邦画全盛期と言われる50年代だが、名監督と言われるのはやはり男性で、また当時の映画会社も当然、男性原理で成り立っているので、この時代の映画はどうしても男性目線的なのだが……
本作は林芙美子原作で、脚本も女性ということで、いやはや、こんな女性目線の、女の情念が描き込まれた映画が、こんな時代に作られていたとは知らず、驚かされた。

もうね、完全に昼ドラ。すべての昼ドラはこの映画の遺伝子を引いているのでは思うほどのドロドロ&メロっぷり。

ただ、普通なら「陳腐」という意味合いを込められがちな、そんな昼ドラ的展開も、戦中戦後をまたぎ、さらに舞台もインドシナから屋久島までを行き来するので、まぁ壮大かつ高尚な映画に仕上がっている。
「妻とは離婚するつもりだ」詐欺って、戦中からあったんですね……まったく男ってやつは…
あと、この時代は屋久島って無名の島だったんだね

また何より、現代の昼ドラと違うのは、主人公二人の台詞回しや、さりげない目つきや所作振る舞いが、まぁとにかく退廃的かつ虚無的な雰囲気をまとっていることである。

これは二人が国外で戦争を過ごしたためで(といっても戦争PTSD的な話ではなく、敗戦による内地の価値観の転換についていけなかったことと、戦後の貧しさのせいだが)、戦中世代の女性の虚しさがこれほどまでにリアルに感じられた作品は、小説等を含めても他に見たことがない。
(そう考えると、現代に作られている戦中戦後を舞台にした邦画の、なんと現代人的情緒で作られていることか)

これは戦中世代かつ男に絶望している林芙美子のシニカルさならではなのだろうけれど、主演の高峰秀子と森雅之の厭世味あふれる演技やまとう空気が、きっと林芙美子の原作のペシミズムやニヒリズムを何倍も深めているのだろう。

特に高峰秀子演じるゆき子は、堕ちれば堕ちるほど、その昏い輝きを増しているように見える。
(ただ病で弱っていく前のたくましい頃が一番好きではあったし、映画としても見ていて面白かった)

「純愛」だなんて言っている人もいるけれど、それはのんきな男の目線で、ゆき子の富岡への感情は「執着」と言う方が正しかろう。林美代子が書いたことを考えれば、ゆき子は性被害と戦後の孤独で、身も心もボロボロになろうと富岡に執着せざるを得ない、病的な精神状態になっていると解釈するべきである。

序盤こそゆったりした始まりで、また唐突に回想が挟まれたりして(白黒だから一瞬で回想だと気付けない)、やっぱり昔の映画だな〜なんて思って見ていたんだけど、10分も経つと展開が一気に進み、編集のリズムへの慣れもあり、この映画の見方がわかってくると、途端に面白くなってくる。展開は早くテンポもいいし、どんどん先が見たくなる。
森雅之演のどうしようもない、卑怯な、モテクソ男っぷりには実況も盛り上がるレベル。『人間失格』の主人公(太宰治)って、こんな感じで女を惹きつけていたんだろうなって……というか、顔も太宰治そっくりじゃない?もしかして狙ったのか!?

(ちなみに東宝の元社長藤本真澄は、浮雲の試写を見て「あの主人公のような女性がいたら、ぼくは理想として最高だな」「踏んでも蹴られても、男についてくる女...そういうのはいいなア」 と語ったと言う。もうお終いだよこの国の男。なお脚本の水木洋子はこの発言に強い不快感を表したという。当然である。)

とはいえ、まず「”安全な戦地”に派遣された女」という時点で物珍しいものがあり、しかもインドシナの農林水産省の仕事(林の保全)って、どんな仕事してたんだ?という興味は普通にあるので、今にして思えば、戦中パートはもっと掘り下げられていてもよかったかもしれない。

普通、戦地への派遣といったら悲劇として描かれるはずだが、インドシナは主戦場にならず、本格的な地上戦を経験せずに済んだ。しかも、フランス人が開発した、日本では住めないような豪邸に住み、「支配者」として毎晩酒を飲んで遊び、若き青春の日々を過ごしていたのだ。それがゆき子の生涯で「花の時期」にあたり、最大の幸福だったのだ。戦争が終わったことで、輝きは色褪せ、幸福は失われた。今でこそ、フィクションで描かれるのは、戦時下の悲劇や悲しみ、敗戦の解放だけれど、これもまた、戦中世代の1つのリアルだったのだろう。そんな、戦争が終わったことで春を失い、陰鬱かつ退廃的かつ厭世的な運命に身をやつしていく2人と対照的に、長屋で一緒に住んでいる庶民は毎日をたくましく生き、子供達は人の敷地で勝手にままごとをし、「東京ブギウギ」を歌ってクリスマスに浮かれ、左翼的な労働争議に熱中するなど、「戦後の春」を謳歌しているように見える。その辺の戦後日本の活写っぷりもまた、見所である。
…で、元陸軍参謀が戦後混乱期にカルト宗教開いてボロ儲けしてたってマジなんですか??

ちなみに、NHKBSで見たが、まぁとんでもなく画質がいい。フィルム撮影って凄えや!!

そのおかげで主演2人の顔の美しさや、また長屋やバラック、闇市などの白黒の陰影を活かした作り込みを堪能できるのだが…
植物に覆われたインドシナや屋久島が、ロケではなくセット撮影だとわかってしまうのは、画質が良すぎることの弊害でもある。

なお、本作に1点だけケチをつけるとするなら、ラストは原作通りの方がよかったということである(原作は青空文庫で読めます)。
富岡は(ゆき子への愛に今さらながら気づいたように)ゆき子の遺体に泣き崩れる場面で終わる。しかし原作では、富岡はゆき子の死を悲しみはするものの、最後には、次の女の元へふらふらと浮雲のように流れていく(しかもゆき子の残した金で)。だから浮雲なのだ。

この改変について、脚本の水木洋子は、「私は林(芙美子)さんほど男には絶望していない。踏んでも蹴られても、信じたい。(略)私は林さんの声と呼吸を常に耳のはたに聞きながら尚且つ男への絶望を叩きつけたくはなかった。それは脚色をした私の切なる願いである」と語っている。自分は林美代子並みに男に絶望しているらしい。
ただ、原作通りのラストだったらここまでの大衆的な人気は当然得なかっただろうなということは予想される。
夏藤涼太

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