小ネタが凄いとか言われても、「プレイするゲームとしてマリオは好きでも、マリオのキャラとか世界観に魅力は感じてないしなぁ」とスルーしていたし、挙句の果てに「いやゲームをやってるような映画なんだよ」とか「任天堂の宮本茂がミリ単位で注文をつけてゲームを完全再現してる」とかいう意見が出てくる始末に、「いや映画でゲームしてどうすんねん、それならゲームプレイするわ。実況動画も興味ないタイプだし」と劇場公開時はスルーしていた。
ので、今さら見た。
「ゲームをやってるような映画」の意味がわかった。
たしかに、ゲームの挙動そっくりの動きをしている。だが、これは決してゲームのプレイ動画とは違う。
ゲームとは関係なく、ちゃんと、映像的な気持ちよさ、アニメーションの快楽がある。
つまり、ゲームの再現そのものの快楽ではなく、"アニメーション特有の異化効果"に快楽があるわけだ。
(実写で写してもなんの面白みもない)見慣れた光景や人間の何気ない動作も、アニメーションで丁寧に再現されると、深みをたたえた風景に見えたり、現実の人間以上の生命力を感じて感動を覚えたりと、何か特別なものとして目に映る。そこには映像的な快楽がある。
それは、アニメーションという、現実とはことなったメディアに、現実そのものが映し出される「異化効果」によるものだ。
ただのパラパラ漫画のはずなのに、そこに本当に人間がいるように感じられる不思議。
それこそがアニメーションの本来的な魅力であり、そもそもアニメの起源でもある(「アニマ」はの原義は「魂」であり、アニメーションとは本来「命を吹き込む」という意味)。
だから、今では現実以上にキラキラした風景や、あるいはエフェクトかかりまくりの美麗なバトルシーン、非現実的なカラフルでポップな色遣い――いずれもCGの発達によって可能になった――がアニメ界隈では評価される傾向にあるものの、そのような「ケレン」は、アニメーション本来の魅力の前では実は不要なものなのである。
そして、このアニメーション特有の異化効果はやはり手書きアニメーションでこそ発揮されるもので、スタジオジブリ作品のアニメーションとしての魅力は、やはりなんといっても、宮崎駿の、非現実的なはずなのに身体性を伴った――異化効果を感じられる――リアルな動きにある。
よって、(特に今のアメリカではアニメ=フルCGあるいは3DCGアニメというイメージがあるほどの)今流行りのCGアニメには、(たとえ綺麗で低コストだとしても)アニメーション本来の魅力である異化効果を感じにくいという大きな欠点がある。
……のだが、このザスーパーマリオブラザーズムービーは、CGアニメにもかかわらず異化効果を感じられる映像に仕上がっている。
それは、現実の動作を再現したのではなく、 ゲームの挙動を再現したことにある。
そしてゲーム――それも最新のリアルな動作ではなくレトロなゲームらしい伝統を持つゲーム――の挙動の再現は、手書きよりも、3DCGの方に利があったという、その点の発見に、本作最大の発明があると言っていいだろう。
実際に、モンスター(?)の動きや、コインが出てくる挙動は、まさにゲームのまんまで、ずっと見ていたくなる気持ちよさがある。
(というか配信なので実際に繰り返して見た)
それは、ゲームプレイ時の、スターでの無双状態の快感とは違う。ゲームでは、コインが出ることにここまでの快楽はなかったはずた。
ここにはやはり、(レトロな)ゲームで見たはずの挙動が、ゲームとは違ったアニメ上にリアルに再現されることで、実際(のゲーム)以上の特別なナニカを感じてしまう――異化効果が働いていることは、言うまでもない。
ただし、この映像的魅力=ゲームをアニメで再現する異化効果は、当然、ゲームをプレイした人にしか感じられないだろう。
ストーリーはあってないようなものだし、キャラクターや世界観も、やはりゲームのファン向けのものであって、オリジナルの作品として見た時に感動を得られるかという通り疑問ではある。
もちろん子供なら、マリオ未プレイでも楽しめると思うが……マリオ未プレイの大人(映画を見られるレベルの階級の人間には現代にはそれは数少ないのかもしれないが)にも楽しめる映画か?と言われると、やはり怪しいだろう。
その点に、売上は非常に高くとも、批評家からは冷たいレビューがなされた原因があるのかと。
また、映像面以外を見た場合に、個人的には、やはりファンサービス が過ぎると思った。
スターウォーズEP7を見た時の感覚というか……
EP8は確かに欠点こそたくさんあったものの、ただ原典をなぞってファンサしただけのEP7よりは全然楽しめた(そしてEP7・8も大衆評価と批評家評が大きく乖離かつ逆転している)、みたいな。
ところで、映画のレビューからはちょっと逸れるんだけど、このマリオ映画のあらすじが明かされた時、「マリオまで異世界転生(転移)かよ」って良くも悪くもネタになってたが……
見終わってみると、いわゆる日本や韓国で流行ってる異世界転生モノ(あるいは異世界転移や憑依モノや死に戻りモノ)とはまったく異なる文脈の、伝統的な「行きて帰りし物語」だったなと。
で、今でこそ、「異世界転移」って異世界転生モノの派生・類型ジャンルとして語られがちだし、いわゆる「ナーロッパへの転移で無双する」が"今の異世界転移モノ"の典型になっている以上、確かにその構造や魅力は異世界転生モノと同じなのだが……
本来は、異世界転移モノは由緒正しい児童文学のジャンルで、そしてそれは当時は「行きて帰りし物語」と呼ばれていたわけで。
そのジャンルにおける主人公の最終目的は、元の世界に帰ることなんだよな。
ラノベ初期の異世界転移モノでも、たとえばレイアースやふしぎ遊戯など、帰還を目指して冒険していた。
しかし異世界転生の場合、元の世界は(主人公にとって)「帰るに値しない世界」だから、主人公も「帰る気がない」。だからこそ、帰還の可能性を排除する「転生」なのだ。
そんな異世界転生モノは、物語類型的に言うなら、差別された異端者が放逐された先で成り上がる「貴種漂流譚」というべきなのかもしれない。