九月

サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~の九月のレビュー・感想・評価

4.9
ドラマーで、恋人とともに音楽活動をしている主人公のルーベン。
機材を積み込んだ車で各地を転々とし、車内で生活をしながらまた次のライブ会場へ向かう、という生活を続けている彼ら。
車の中で目を覚まし、ミキサーでスムージーを作る。恋人のルーを起こしてスムージーをすすめて、また一日が始まる。

爆音の中でドラムを叩き続けてきた彼は、ある日突然聴覚に異常をきたしてしまう。
次の日の朝、同じように車の中で目覚めると、やっぱり耳がおかしい。こもったような感じがする。いつものようにミキサーを回しても、音がしない。
突発性難聴になったことがあるので、耳抜きをしたり声を出したりして、またすぐに元の状態に戻るのではないかと試すルーベンの、焦りが混じったような心境がとてもよく分かった。

耳が聴こえなくても、合図やこれまでの信頼で演奏を続け、高額な費用がかかったとしても、インプラント手術をして、また元の生活に戻りたいルーベンと、
彼の耳を心配して、一旦音楽から離れた方が良いと、事態の深刻さを本人よりも理解するルー。
知り合いから、ろう者の支援グループを紹介してもらい訪れるふたりだが…
あくまでも耳を治したいルーベンと、耳が聞こえない人たちと共同生活を送る聴覚障碍者のコミュニティは、そもそも本質的に異なるので、端から合わない気がしてしまった。

このコミュニティでは、誰も耳が聞こえないということを悲観しているような人はいなくて(少なくともそういう風には見えなくて)、初めは手話も分からないまま飛び込んでいったルーベンの孤独感が痛いほどに伝わってきた。
それでも、コミュニティを取りまとめるジョーは、他の人たちと全く変わりなくルーベンとも接してくれる。それがありがたくもあり、一方でどこか怖さも感じてしまった。

ルーベンには少し子どもっぽい印象を受けたが、コミュニティで暮らしていくうちに、周りの人や子どもたちとも馴染み、ジョーからの"課題"に日々取り組むことによって落ち着きを取り戻していく。
人の変わる部分と変わらない部分を目の当たりにし、失うものがあれば得るものもある、というのを実感した。

音の演出が本当にすごい。
耳が聴こえなくなっていく感覚、補聴器をつけた時の金属音の不快感、音が何もない静寂の世界…経験したことはないけれど、主人公の追体験をしているようだった。

ある意味解放されたかのようなラストシーンに、静かな余韻が残る。


2021/05/02

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劇場公開され、念願だった映画館で観ることができた。没入感が増し、音響の深みよりもむしろ静寂の心地良さが身に染みた。
コミュニティでの過ごし方が、以前観た時よりもかけがえのないものに思えて、スマホも車もない中で、本来の自分に向き合い心の平穏を取り戻していくところがとても好き。

誰にも見せなくてもいい、間違いなんてない、と毎日朝起きてからの早い時間にノートに何か綴るという課題をジョーから課せられたルーベン。
ああいう自分以外の人や物事との関わりを遮断して、自分だけの時間を過ごすことも必要だと、このSNSの時代に改めて感じたりもした。
あまりしっとりしていないタイプのドーナツとホットのブラックコーヒーの組み合わせを、どうしても食したくなった。

バリアフリー上映は初めてで、字幕だらけで気になってしまうのかなんて勝手に心配していたのも杞憂で、文字の大きさやフォントなど配慮されていてなんの違和感もなかった。
音の表現の仕方が面白いというか、そんな表し方するのかと注目して見た。
九月

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