ニューランド

荒野にてのニューランドのレビュー・感想・評価

荒野にて(2017年製作の映画)
3.6
☑️『荒野にて』及び『運び屋』⏩
自主上映で単発的に上映されているだけなので、私も含め多くの待望者が見ることが不可能だった出世作『ウィークエンド』が近々やっと公開される気鋭・異才の3作目は、幻の家族・最小基盤コミュニティーを求める孤独な少年(青年前)の魂の彷徨を描き、そこに至るまでに罪の意識まで背負うことになる、無定形で暗い旅の映画である。その魂に寄り添うかのように、気づかれないくらいの前後への僅かの移動が効果を持ち、及び静か横へ・回り込み・フォローが印象的映画言語となっている。それは、本作の重くも風にも流されそうな頼りなく単純で限られたタッチに比べると、はるかにフランク賑やかで軽やか・適宜的確多ポジションの、作者も2世代は違う、併映の『運び屋』でも、同様にフッと心の奥を探りくすぐるタッチとなっている。思えば2作は、タイトに切り詰めない遊び心も感じさす自然・素朴なトーンが共通してて、年齢差70数歳の2作の主人公も掴める拠り所を持てずにフラフラし、弱みを見せない外面へのプライドの固執の意固地、犯罪的なものにも手を染めてしまう弱さを持ちながら、本質は内なるしかし外に存する身近・大事なものへの対処に不器用・先送りなだけで(眼前の花や馬にはスッとストレートに愛を注げぶつけられても)・ぶれても横路にはまりきらず汚れきらず、内面は外的環境に毒されぬ生まれたままに近いピュアさを奥に保っている(きた)ことで、共通している。それが、先が閉ざされてないラストにつながってゆく。観る者は素直を増して始源の生きる糧・光を受け継ぎもする、何かがスッと解放される。’70年代ののどかが自分への首絞めにつながってゆく余白一杯のロードムービーの空気(音楽的にも)が醸し出され、回りとの関係性は、ペキンパーの『~流れ者』『ガルシア~』をそれぞれ想起させたりする。
ヘイ作品の方がはるかに本気度・のめり込み強く呆気にとられてく展開の力もあるが、イーストウッド作も、特に才気のない定番の展開・会話・リズムとはいえ、’70~80年代作のテイストを取り戻したような、気負いのない真実がしみでてる。少なくとも表面は素直でにんまりさせる。両作に共通する味わいをもった作品として佳作『センチメンタル・アドベンチャー』を思い出していた(もう昔で覚えてないヴァルダや新しめショーン・ペン作品ほど、ギチギチに詰め込む求道的世界とは別)。
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