レインウォッチャー

ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

3.5
ケリー・ライカート作品、もともと言葉少なとわかってはいたけれど、遂にここまで?という域。スターと言っていい面々を起用してなお、その世界観を崩さない。黙々と削り落としすぎて痩せた鉛筆、しかし残る芯の硬さと鋭さ。

3篇から成るオムニバス形式で、別々のとある女性たち=certain womenの物語が語られる。同じモンタナに暮らし、1篇目をハブにうっすらと関わりあっていながらも、歩道ですれ違う程度の距離感で隔たり独立している。

季節は冬。水も凍るような寒波が報じられ、木々は裸で、空はグレーだ。
この寒々しさ、上着の中で思わずできる限り身を縮めようとするような窮屈さは、そのまま彼女らが日常に覚える感覚そのものといえるかもしれない。中西部の、呆然とするほど広すぎる景色は重さを湛えて圧し掛かっている。

しばしば、彼女らの表情は窓や鏡越しにとらえられる。ガラスは多くの場合汚れていたり、風景の反射が被さったりする。やはりここには、(土地柄が助長するように)男性優位社会での息苦しさ、言っても仕方がないと奥へ追いやることに慣れ切ってしまった遣る瀬無さの沈殿が含まれていると思わせる。(※1)
映画の序盤、L・ダーン演じる弁護士がある男性と交わしている会話が、どうでもよく見えて象徴的だ。このセーターの色はピンク?いや、トープだろ?この色彩感覚の乖離、世界に被せたフィルターの違い。

3篇の物語はいずれも「ささめき」のようなものだ。彼女らは独りである行動をして、他者との間のささくれたノイズをくぐって、元の場所へ戻ってくる。さいころが「1」出たと思ったら、次にまた戻されるような足踏みだ。
しかし同じように見えて、その前とは確かに違うのだ。彼女らは誰もが行動で自らの意志を示し、(それが良いにせよ悪いにせよ)結果を受け入れた。映画は、その事実を黙って尊重し、肯定しているようだ。

ラジオが空模様を告げている、
「雲間から太陽が覗くでしょう、しかし日差しというよりはかすんだ光」。
この柔らかな兆しが、彼女らを明日に生かしている。

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冒頭の貨物列車に、『ウェンディ&ルーシー』が帰ってきたのかと思ってしまった。

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※1:1篇目、他人の車の中で泣き出しちゃうおっさんは良い対比になっている。