レインウォッチャー

正欲のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

正欲(2023年製作の映画)
3.0
かつての米空軍で、戦闘機の機能改善のため、コックピットが全パイロットの平均値にあわせて再設計された。するとどうなったか?答えは、「誰にもフィットしない」戦闘機が出来上がったという。
この有名なエピソードが示唆するのは、「すべてが平均」なる理想的な=正しい人間は机上にしか存在しない幻想であるということであり、同時にわたしたちが如何にその幻想を信じやすいかということでもある。

とはいえ、他者と集団生活をしながら生きていく、という道をヒトという生き物が選択した以上、このバグはひとつの《適応》の結果として考えるべきなのかもしれない。平均や標準といった正しさの幻想と、それに自分が近しい位置に属している、少なくとも属そうとしていると信じること。
そんな、「正しくありたい」「正しくあろうとしていることを分かち合って安心を得たい」という生存戦略こそが、今作のタイトルである『正欲』なのだろう。

今作では、そんな枠組みとどうしても折合いがつけ辛くはみ出してしまう人々の物語が群像劇的に語られ、やがて彼らは結末に向かって引き寄せられるように収束していく。
彼らも、彼らの周りの人々も、『正欲』のもとで生きている点で変わりなどないことがわかってくるのだけれど、社会なるシステムは正常/異常に単純分別することで早期にエラーを排除しようとする仕組みを備えていて、誰かの手が差し伸べられるよりも往々にして早く、そして強力に、その自浄作用は働くのだ。

しかし、今作は所謂マイノリティを擁護するばかりの論調ではない。むしろ、両方を刺している。

稲垣吾郎氏演じる検事、寺井が夜遅く帰ってきたリビングの光景がすべてだ。
隙間もないほど散らかった床、やけに躁な妻からレトルトで出されるカレー。彼は何も言わないし、言えない。
そこに追い打ちをかけるように、食事より先に雑事をやれとせがまれる。不登校の息子がYoutuber活動を始め、そのために必要な作業だ。寺井の黒目に映るものは、ない。

この場面から鈍い痛みをもって再認識するのは、イレギュラーを受容するには《コスト》がかかる、という(心情より遥か前にある)事実だ。それはダイレクトに経済的な意味でもあるし、心理面での負担でもある。
いくらダイバーシティだ多様性だと言葉や品を変えて叫ばれようと、既にある程度できあがった仕組みの中に新たな道理を捻じ込もうとする以上、これは変わらない。誰かが歪みを背負わなければならず、更にその結果が上手く行くか(特に10年以上の長いスパンで考えたとき)なんて予測不可能だ。

確かに、寺井は「ゲンダイテキな」価値観に照らせば想像力・共感力に乏しい男なのかもしれない。しかし、多くの彼のような人物によって社会というシステムは保たれていて(検事という職業がそのことを補強している)、いかなる立場/信条/嗜好の人物であれ、その上で日々を暮らしていることは否定できない。

そうなれば、本来取るべき選択としては《革命》か《逃亡》であり、あるいはもっと現実的な手段として《擬態》がある。この選択肢を採ったのが、桐生(新垣結衣※1)と佐々木(磯村勇斗)なのだろう。

そんなわけで、様々な角度から光をあてつつ、みんなここらでいったん等しく傷つこう、という意地の悪さと誠実さをもった作品…ではあると思うのだけれど、大きな難点として「しゃべりすぎ」なのであった(少なくともわたしにとっては)。
特に桐生と佐々木の対話(※2)とか、パンチライン的な心情吐露系の台詞が次々と出てきて、その鋭さには一定の感心をしながら(まこと小説原作らしいなとも)、「それはこっちが考えることやから先に決めんといてくれ」と思わざるを得ない。

このあたり、好みの分かれ目となるんじゃあないだろうか。ただ、誰もがが無意識に抱える『正欲』に気付くことはできると思うし、自分を真っ当な方法で嫌いになれるだろう。

-----

※1:目だけでなく、ちゃんと声と肌も死んでいて偉い。もともと持っていたある種のお人形感を、うまく負の方向へ変換した感じがする。夫婦を超えすぎ。

※2:水に対して性的嗜好が向く彼ら。わたしも、性的感覚と直結するまではいかずとも、水が孕むエロティシズムは少しわかるつもり。それに、世には「車とセックスするドラゴン」に欲情したり、エッフェル塔と結婚した人もいるので、まあ普通にあり得るんだろうって思っている。

し、なんていうか身体の作りや分泌物の成分のバランスのちょっとした誤差、あるいは経験した物事と生きてきた社会で規範とされる概念の組み合わせとか、つまりは総合ほぼ《運》によって、自分もどのようにも転び得るって考えること、それが想像力と呼ばれるものであり、思いやりとかの源泉になるのでは?とか漠然と考えながら過ごしている。だからといって、自分がヤサシイとかカシコイ人間だとは毛ほども思わないけれど。