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否定と肯定のotomisanのレビュー・感想・評価

否定と肯定(2016年製作の映画)
4.0
 2013年改訂以前の英国の名誉棄損裁判は、はじまりは「紳士の試金石」という受け止めに代表されるようなもので、名誉を汚そうという悪党には決闘による死の代わりに多額の訴訟賠償費用を負わせたうえで卑怯な噓つきとして社会的死をもたらそうというものである。その後期には国会議員が不利な報道を流すマスコミに対する防壁として作用することが多かったと聞く。英国議員と言えばなにより女性関係のスキャンダル、いやなかなか。

 ではアーヴィング氏はどうだろう。ロンドン在住だから高等法院での裁判は自然な事だが、訴える相手のペンギン・ブックスはさておき、リップシュタット教授のI氏に対する史家として失格であると周囲に告げるような態度と当然その業績も信用に足りない内容と決めつける姿勢とが名誉棄損であるという事で、訴えは真っ当だが、裁判で採用される証拠が訴えの事実を裏付けてくれると確信していたのだろうか。
 一聞しただけでは教授がI氏を訴えたほうが余程自然に思える。いまどきホロコーストがなかったと主張する方が言いがかりで、それを推すグループによるホロコースト証言者に対する中傷の方がはるかに名誉棄損ではないだろうか。
 ただ、I氏ももともと、ロンドンのユダヤ系連帯への内偵から訴訟費用をめぐり教授側が和解を促され、それに応じるものと踏んでいたのかも知れない。従って、真っ向から抗弁に挑む教授側のI氏の学問的な領域を超えた個人の内面に踏み込む「日記」20年分の査読、結果、裁判は準備に多くを費やし判決まで6年にも及ぶのだが、これには冷や汗を覚えたのではないだろうか。ちなみに、2013年当時、米国司法省は、英国の名誉毀損の弁護士にかかる費用を毎時400~600 ポンド(6万8000円~10万円)と見ていたそうだ。

 この訴訟がI氏当人にとって危ない橋と思えない事情とはなんだろう。
 日頃の冒瀆中傷で切り刻む相手である収容所から生還した人々を喚問する事に失敗し、口舌を披露する相手の陪審員も並べられず、あくまでも学問上の証拠の解読や物証の精査の瑕疵を検証することによりホロコースト否定、あるいはヒトラーからの命令が無かったことを問うという、I氏にとってはむしろ不利と思える裁判の進め方を了承した事はどんな血迷いなのか?聞くだに不可解である。
 それでも退かず守る名誉とは、和解金、賠償金の額でないならば、学者の本懐というべきかどうか分からないが何だったのかよほど興味深い。そこを映画で掘り下げるなら、I氏にとってはいい宣伝の伝手となる恐れがあったろう。もちろんそれ以上に教授側のI氏に対する忌避から叶わなかったろう。
 しかし、8歳でロンドン空襲の中、ヒトラー万歳を叫んでいたという名誉の噂、流布を狙った噂で彩られた人物である。ヒトラー愛が信仰まで高まり、ヒトラーを汚しているホロコースト論自体を否定するのか単にヒトラーから切り離したいのかあやふやな感じが教授に対して全く相手にとって不足に見えてしまうのだ。してみれば、こんな人物が億のカネを費やした訴訟に負けて破産を云々されても傍目に沈没していないらしいとするなら、それを支える背景の気味悪さにもそそられてしまう。
 裁判所の外で叫ぶ支持者もそうだが、ほかに向かう先がない人々の手っ取り早い考えなのか、都合のいい考えなのか、愛を告げたキリストがなんの救いにもならない代わりに、滅ぼせと告げるヒトラーがいつか神格を帯び、アーリア人の血統で支配された世界の教典の中にI氏の著作が組み込まれる夢でも見ていたなら血迷ってしまったと臍を噛む代わりに見上げた殉教行為として、I氏はこの敗訴を甘受できたかもしれない。

 教授側が勝訴した事、この訴訟を乗り切るために敢えて証人を限定してI氏が頭に乗る場面を封殺できた事、I氏の日記を一次資料としてその解読の分野で異論が成り立たないような証拠とし、公開可能な形で記録に残した事には大きな意義が感じられる。しかし、一方でそれら資料が実際にはアクセスが難しく、読解自体も苦労な分量の裁判資料である事には、I氏へのインタビューをどれほどか多くの人がテレビでネットで眺める事、彼の、負けを認める代わりに吐く小さなうその数々が負けの意味さえ蝕んでいくような感じに、不動の証拠さえも流れ染み渡るうそに覆い隠されそうな、なんとも居心地悪い思いがする。

 そしてもうひとつ、これは名誉棄損を問う事からは外れたように思えるのだが、審理最終日の裁判官の被告側への質問にあるI氏が心から信じている事から発した言辞を否認する事が名誉棄損に触れる可能性を示唆したなら、それは一体、史家としてのI氏を指しているのか、史家がわたくし事を越えた事柄のありようをわたくし事で染めずに記すのに対して、そのわたくし事として何らかの信者であるI氏を指して発した言なのか、法廷のI氏を裁判官は何か見失った格好なのか?
 当然だが、資料を誤読しそれに気づいても正さず、気づかなかったなら現に法廷で些細な誤りと受け流し紛らす態度で史家としての不適格を露わにした事からも、信者としてのI氏以外にその問いの引き合いとなる相手はいないはずだ。では、ヒトラーに行き着く信仰を仮定したなら、それを否認あるいは冒瀆だろうか、する事に繋がる教授の反ホロコースト論否定がI氏への名誉棄損と認める可能性がある事を示唆したのだろうか?それはI氏への瀆神として有責性があるのだろうか。まるでふと思いついたかのような道草に、どこかヒトラーとドイツがホロコーストに踏み切りさえしなかったらという思いがこの裁判官にもあるのか?と、あるいはドイツがホロコーストの経費もユダヤ人人材も全て戦争資源に傾注していたらと思うところが潜んでいるのか。
 これは心の闇というばかりではなく、強い指導者が導く強い国家という、英国が失った事への憧れとも感じなくもない。しかし、そうして強そうに示すために何を日頃餌食にするのか、いざ戦争さえ排除しないという時の国家的怒りの捌け口にどんな悪者を仮想しておくのだろう。ヒトラーはアーリア人種として先ずユダヤ人を取り上げたが、この裁判官なら誰を念頭に置いただろう。ふとそんな想像を巡らしてしまう。字幕訳文の拙さに次いで教授らの言を状況証拠としてあっけにとられた末のこのような裁判官についての解釈と想像だが妙に納得してしまって嫌な感じだ。

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 ついでの話だが、2013年の法改正では名誉棄損にも推定無罪の原則が取入れられたそうだが、まことに議員受けの悪い事だったらしい。しかし、「言論に対するテロ」などとの国際的批判の急先鋒が米国であれば、紳士の名誉の国も折れざるを得なかったらしい。
 このはなしは、岡久慶(国立国会図書館 調査及び立法考査局海外立法情報課)の「イギリスの 2013 年名誉毀損法」「外国の立法 261」所収(2014. 9発行)を参照している。
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