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ジムノペディに乱れるのeyeのレビュー・感想・評価

ジムノペディに乱れる(2016年製作の映画)
3.6
ジムノペディに乱れる(2016)

かの有名なフランスの作曲家エリック・サティ
ジムノペディ第1番で静かに映画は始まる

ジムノペディは第1-3番までの構成である中で
第1番の独特のゆったりしたリズムが終始漂う

第1番の指示は "ゆっくりと苦しみをもって"

板尾 創路 氏 演じる 映画監督の古谷慎二

古谷のひたすらに苦しんで鬱屈している
月-土曜日までの1週間が描かれていく

古谷監督が作った『6月の消えた日』にて
ベルリンで国際的な名声を得るものの

その後 古谷は長いスランプに
陥った挙句に金銭難を抱えていく

映画は 83分全編 を通じて古谷が日常を漂い
ひたすら色情欲に溺れる様子を映していく

そして ひたすらにお金がない

人生に疲れ果てた男性 いや ただのおじさんが
何故これほど魅力的になってしまうのか、、

枯れ専女性が観たら卒倒するくらいなレベル
じゃないかと考えてしまった。。

芸人 板尾氏がその枯れた男性を演じることで
物語に入り込めるのか妙な感じがしていた

しかし

実際は古谷演じる板尾氏の表情・態度・間・ダメさ加減が劇中で絶妙な気配を醸している

人生のコーナーに追い詰められた男は
焦燥感・絶望感・停滞感と共に表現しつつ

肉体表現として1週間の内の悲しみや苦しみが
描かれ女性達との情事を淡々と繰り返す

劇中 そんな古谷監督が愛の哲学を語る

自身の映画の舞台挨拶の場で質疑応答があり
ある観客女性から質問が投げかけられる

(女性)

>監督の映画はいつも独特な愛の深さを考えさせられる所があって(略)監督の考える愛の実態とはなんですか?

(古谷)

>この世のどこまでが真実でどこからが虚構なのかそれを考え見極めることは困難です。

>虚構いわゆる映画を作る僕は常に真実を求めています。例えばジョウロに半分 水が入っていて後から水を足します。どこまでが最初に入っていた水なのかを考えた所で、その花にとってはただの水なんです。

>僕にとって重要なのは、その花にどんな水を注ぎ、その花がどんな色になったとしても認め、受け入れられるかどうか、それこそが僕の思う真実であり、愛の実態だと思います。

まるでアガペーをなぞったかのような
哲学思想を全開で繰り広げてくる古谷監督

無限の愛に見返りを求めず
全てにおいて無償である精神

そんな思想を展開してくる

古谷が生徒である山口結花の秘部を見て
発する異様な感性のあるセリフ

>夜露に濡れた夜明け前の朝顔

シュールな笑劇をも醸してくれるし

「おいおい さすがにそれはないだろう 苦笑」

という彼の道徳心を疑う数々のシーンもある

対して

濡れ場で必ずエリックサティの曲がかかる
それが欲情の高まりを表すかの如く映される

"ゆっくりと苦しみをもって"

その指示に芸術性を醸す場面と笑劇が
いい具合にブレンドされている

お金が枯渇する理由もラスト間際で明かされるが
良い話のような気もする反面 

女性達の情事に掻き消され モヤモヤを残す

本編のラストはおそらく古谷が本当に撮りたかったシーンあるいは作品に帰結していく

ジムノペディを艶美な雰囲気で弾くその人物は
生徒山口でなく 妻の姿が映し出される

彼の手のファインダーから見える景色が
それを物語るが 突如現実に戻される

虫の知らせの如く 何かがあったことを悟る

決して絶頂に達しない古谷の肉体と精神が
寂しさや虚しさを表現し 彼は妻の元へ走り出す

どこまで行っても拠り所の無さを見せる古谷だが
そんな彼は最終的にちゃんと救われたのだろうか

突如暗転するラストに一抹の不安感が残る
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