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君の名前で僕を呼んでの夜のレビュー・感想・評価

君の名前で僕を呼んで(2017年製作の映画)
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一部露骨な場面が好みにそぐわなかったが、文句なしの名作。同性愛というよりもフラテルニテ=ブラザーフッドの話として観ていたので、古代ギリシャの文脈があるとはいえ性愛関係に入るのは意外だったが、AIDSが最初に報告された1981年のポスターが象徴的に壁に貼られていて、物語も1983年夏ということで、オリヴァーはAIDSのことを知っていてエリオのことを誘惑したのだし受け入れたのかもしれないと思うと、中々胸に来るものがあった。

エリオの具合を思うと、その後の顛末に悪い予感しかしないのだが、そこを敢えて撮らなかったところに品の良さを感じた。あるいは今作の枠に収まりきらないテーマだと監督が判断したのかもしれない。いずれにせよ、エンドロールの場面でエリオに纏いつく蠅といい(言うまでもなく死の象徴)、なにか不穏なものを匂わせながらも、あくまでも友愛に的を絞って作られていたと思う。

この作品は男性性欲のことがわからない人には理解できないのではないかとも思った。つまりレズビアンの関係性から類推して理解しようとすると大目玉を喰らうと思う(これは図式が逆でも同様である)。当て馬にされている女の子2人との関係もきちんと描写されていたからこそそう思う。結ばれた2人の男性の異様なテンションの中に、逆説的に女性を征服した、克服したというような勝利の喝采を感じたのは自分だけだろうか?

それにしても男性同性愛を描くときには古代ギリシャという強い歴史的な参照項=磁場を味方につけられるのは美味しいなと思った。とはいえやはりこれは友情あるいは友愛の物語だ。ラ・ボエシを慕ったモンテーニュの『エセー』から「それは彼だったからだし、わたしだったから」という言葉を父親が引用するのは適切で、本当にその通りだ、と強く頷いた。私自身がそういう相手を持ったことがあるからこそそう思う。ハイデガーの存在論を持ちだすまでもなく、あなたという存在そのものに対する愛こそがいつだって正しいのだ。それは自分を愛するように、自分の分身であるかのごとく、同じ重みで相手の存在を愛するということだ。それを改めて理解させてくれた。

とりあえずオリヴァーのくれたぶかぶかのシャツを着た上から女友達を抱きしめる演出が最高だった。圧倒的な勝利を感じた。エリオの肌に触れているのは、あくまでもオリヴァーなのだ。
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